headerphoto : badjoni
日時:2020年4月14日(火)
場所:ロンドン、イギリス
texts : MARION
日本人の父親とチリ人の母親を持ち幼少期から日本と南米を行き来する。バックパッカーだった父親とともに子供の頃から世界中を旅する。2019年よりロンドン在住。テクノミュージック全般を好み、年間3ヶ月ほどをベルリンで過ごしている。
私は東京産まれの37歳女性、チリ人の母を持つハーフだ。2年前に英国人の男性と結婚し、2019年5月からロンドンに滞在しながら、配偶者ビザを取得する為の準備を行なっていた。
英国の配偶者ビザは世界一取得が難しいとも言われていて、審査には膨大な資料の提出が必要で、審査時間は長いうえに費用も高額だ。ビザの申請は自国内の英国ビザセンターでしか行えず、そのため私は3月に日本への帰国を予定していた。
説明するまでもないが、ビザの取得が厳しくなった背景には増えすぎた移民問題が影響している。
英国国勢調査によると2030年までにロンドンの35歳以下の白人系イギリス人は50%を下回ると予測されていて、文化維持のため、ビザの申請には英語能力テストに合格することが必須となっている(一部の大学を卒業した者は免除)。移民というとどうしても発展途上国の人々をイメージしがちだが、自らの国をまたいで住居を構えれば誰でも立派な移民だ。そのような要因から、例え日本人であっても容赦なく却下されるケースが多い。
私は昨年12月ごろから申請のための準備を続けていた。2月上旬には申請の一歩手前のところまで来ていたのだが、この頃になると徐々に新型コロナウイルスの話題がBBCのトップニュースとして扱われる頻度が多くなってきていた。この時点では誰もが、アジア全体に被害が及ぶだろうと予測するだけで、欧州での流行は想像すらしていなかった。
私は、日本が新型コロナウイルスで危険だという理由で、移民弁護士や家族の説得もあり、帰国を中断せざる得なくなり、いきなりやることがなくなった。それでもまだ遠い場所での出来事という認識が強く、「旅行のチャンスだ」と思い、2年振りにイスラエルを旅先に選んだ。しかしその直後に思いも寄らないことが起きた。
2月23日、イスラエルが韓国人の入国を禁止したのだ。
「ってことは、仮にロックダウンの段階まで進んだら出国できないってことだよね…?」なんて旦那と話をしていた。
この頃から新型コロウイルスは中国国内、あるいはアジアだけの問題ではなく、世界的な問題に発展してきていた。すでに英国では1月30日の時点でブリティッシュエアーが中国本土との運行中止を発表していたし、ルフトハンザやオーストリア航空など、他の航空会社も次々とアジアへのフライトを中止した。
それでも私はまったくめげず、瞬時に方向転換する程の気持ちの余裕があった。旅先をメキシコに変更し、ヌーディストビーチでバンガローを借りて過ごすことにした。
この時期、日本にいる友人たちから頻繁に連絡が来るようになっていた。東京でイベントのオーガナイズに関わっている友人たちだった。
彼らは、口を揃えて同じようなことを質問してきた。新型コロウイルスの影響よる英国の様子やクラブの状況、アジアや日本がどのように報道されているか、感染がどの程度懸念されているか……、ということだった。
彼らが直面している問題は、渡日をためらうアーティストが徐々に目立ちはじめてきていること、招聘を検討しているアーティストに声を掛けていいのか悩ましいということのようだった。
海外からアーティストを招聘する場合、最低でも2~3ヶ月前にはスケジュールを確定しておく必要があるうえ、アーティストへのフィーやアテンドまでに費やす時間と費用のコストは、簡単にキャンセルや変更ができるようなものでないことはよくわかる。まったく予想のつかない状況に当惑したオーガナイザーは多かったと思う。
私は彼らに、これまで英国の友人たちと話していた内容を伝えた。ウイルスに感染するリスクよりも帰国できなくなる状況の方が心配だ、ということだ。既に私自身がイスラエルから出国できないかもしれないリスクに直面し、旅先の変更を余儀なくされた経験も話した。帰国できないとなれば、スケジュールの大幅な変更が必要になってくるだろう。代役が務まらないアーティスの場合、特に信頼性に大きく関わる。それならばきっと慎重になるだろう。
英国に住む人々にとって新型コロナウイルスの影響の大きな変化を感じたのは間違いなく3月12日だったと思う。
その日、英国の首相ボリス・ジョンソンが国民に向けて以下の内容の声明を発表した。
1、UK連合(イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランド)の緊急委員会を発足した。
2、新型コロナウイルスによる影響は間違いなく拡大し、今後この状況は数ヶ月続くだろう。
3、感染者数は急激に拡大するだろうし、きっと予測しているもの以上になるだろう。
4、我々には免疫がなく、大変危険な状態にある。
次にボリス首相が告げた声明は戦後最も衝撃的な内容だった。
5、「私は英国民に対して正直にならなければならない。あなたの家族、あなたたちの愛する人たちをこの数週間で失うことになるだろう。心の準備が必要だ。しかし私たちには明確な計画があり、すでに実行していて、現段階ですでに次のフェーズに進んでいる」
6、感染を抑え込むことだけではなく、拡大を遅らせて被害を最小化しなくてはならない。
7、感染のピークを遅らせることによって、病床が増え、医学研究の時間も稼げる。それによりNHS(UK国民保険サービス)はより強力な組織になるだろう。
この声明によってイギリス国民の危険意識は大きく変化した。ここから生活が一変するまでは早かった。
自主的にレストランや雑貨店の営業時間が短縮され、PUBでは食事の提供をやめるところも多くなった。
私が住んでいるのは南ロンドンのZONE2というエリアだ。最寄駅付近には250店以上の飲食店、百貨店、スーパーは王室御用達として有名なスーパー『Waitrose』から低所得者の利用が多い『Asda』まである。さまざまな所得層の人たちが生活する、ロンドンでも大きめのエリアだ。都心からの距離やアクセスの便利さは東京で言うと三軒茶屋に近い。
常に大勢の人間が行き交うこの街で人が徐々に消えていった。大型バンで家族揃って郊外へ移動する人も多かった。
ボリス首相が衝撃的な声明を出した翌日、生活の変化を強烈に感じることになる。自宅近くの巨大スーパーはもぬけの殻だった。街中の他のスーパーでも食品はほとんど売り切れていた。特に野菜・フルーツ・乾物・缶詰はどの棚にも見当たらなかった。店員は品物を探しにくる客の対応を次から次へとこなしていた。特にトイレットペーパーの需要は大きかった。
そして近年ロンドンを代表するクラブになっている “Printworks London” が一時休業したのもこの頃だった。
話はそれるが、日本の友人によく質問されるので、ここで少しPrintworksを紹介したいと思う。
Printworksは、2013年に閉鎖された欧州最大規模の印刷工場が当時の状態に近いまま、2017年2月にクラブとして生まれ変わった場所だ。収容人数は6000人以上で新木場の大箱クラブ “ageHa”の倍にあたる。
かつて工場だったこの場所は膨大な数の印刷機を稼働させていたため、完璧な防音と空調が完備されているうえ、天井高のある巨大な空間だった。そこに目をつけた現在の運営がクラブへと変化させたのだ。ブリテッシュファッションテキスタイルや新聞等を印刷してきたこの工場は英国の歴史の流れを見届け、形にしてきた場所だ。当時の状態をなるべく残すため、使用されていた印刷機械は数多く残され、古びた配管のパイプは独特な雰囲気を醸し出している。店名の “Printworks”も当時の工場名のままだ。
メインフロアであるROOM1は天井高17m、大量にスタックされたD&B AudiotechnikやLEDスクリーンが特徴的。昨年9月にRed Bull Music FestivalにてAphex Twinのライブ配信がされたフロアだ。他にも、The Chemical Brothers、Sven Vath、Peggy Gou、The Black Madonna、Moodymann、Nina Kraviz、Jeff Mills等のアーティストがプレイしてきた。
今ではロンドンを代表するクラブとして世界中のエレクトロミュージック愛好家からアーティストにいたるまで絶大な支持を受けている。
Printworksに限らず、一時休業するクラブが徐々に増えていった。
ロンドンでは国からの強制休業が通達されるよりも前に、自主的に一時休業に入るクラブが多かった。新型コロナウイルスによる一時休業、売上が減少した企業・イベントに対して売上の80%を保証するという対応を、政府がいち早く決定したからだ。同じように労働者へも給与の80%(最高2500£、約37万5000円)を保証するとのことだった。
この政府の対応により、数多くのクラブ関係者やアーティストが一時休業の決断を行うことができ、実施されるであろうロックダウンに協力的になることができた。さらに彼等は自分や家族が直面するかもしれない新型コロナウイルスへの感染やロックダウンに備えるだけの時間を確保することができた。
そして3月23日、ボリス首相がロックダウンの演説を行った。
この時点でイタリアでは連日400人以上の感染による死者が出ていた。医療は崩壊寸前、毎日テレビで流されるニュースは同じ地球で起きている出来事だと理解するのが難しいほどだった。
そんな中でのロックダウンに英国民が不満の声をあげることはなかった。毎日繰り返し報道されるイタリアやスペインでの衝撃的な状況をロンドンでも体験することになるだろう、と誰もが心の準備をはじめていたのだ。
翌日から外出禁止の日々がはじまった。私は今、ありとあらゆることをして過ごしている。
語学学習、購入しておいたガーデニング、PlayStationなどのゲーム、プラモデル、塗り絵、裁縫、読書……、地下室スペースを活用して水耕栽培で野菜も育てはじめた。家は今まで見たことがないくらい綺麗に片ずいている。料理のレパートリーも確実に増えている。
3月末に新型コロナウイルスへの感染が確認されたボリス首相は5日、検査入院のためロンドン市内のセント・トマス病院に入院。当初は予防的な措置であり緊急のものではないとされていたが、症状悪化のため翌日午後にICU(集中治療室)に入ったという。
外出禁止の暮らしが続く中で英国文化に触れるきっかけがあった。私を新しく夢中にさせたのはチャリティやドネーションだった。
英国ではチャリティ文化が浸透していて、街には1、2店のチャリティショップが必ずある。日本でいうリサイクルショップに近いが、品物を提供する側は一切金銭を受取らない。売上はホームレス支援、孤児の教育、貧困層への社会貢献などに寄付される。
英国チャリティショップ団体の情報によると、チャリティショップの数は英国全土に1万1200店舗、ボランティアで働く店員は23万人、年間の売上は10億£(約1500億円)以上、団体への寄付総額は2.7億£(約400億円)にもなるらしい。
チャリティ大国に育った彼らはドネーションへの参加も積極的だ。ドネーションの種類はさまざまで、団体を通すものもあれば個人で行われるものも多い。
私の英国人の友人は10年ほど前に父親を肺がんで亡くした。
「父が亡くなって10年になる。亡くなる前、
自らの欠点を克復する表明をしてドネーションを募るのはよくあるパターンだ。彼女はスカイダイビングに成功し500£(約7万5000円)近いお金を当時父親
このような社会貢献を生活に取り入れることで “社会に参加している” 認識が自然と生まれる。その様な環境で育ってきた英国人が、ロックダウンという状況下でチャリティやドネーションに参加するのは自然なことだ。
ボランティアも同じだ。ロックダウンがはじまった3月24日、テレビを通して英国政府からボランティアを募集する発表があった。
主な募集内容は、自力で生活できない人(老人、障害者、肺に疾患のある人)への食料・薬の配送や電話でのサポートだった。募集人数25万人に対して、75万人の応募があったと発表された。
感染のため入院していたボリス首相は12日に退院。一時は2人の看護師が48時間ベッドのそばで待機するなど危機的な状況だったことが報じられた。彼はメッセージ動画の中で「助からない可能性もあった」と話し、医療従事者に感謝の意を述べた。
我が家では、旦那が常に友人たちとチャリティーやドネーションについての情報交換をしている。
「どこに寄付した?」「その発想すばらしいね」「信頼できそう?」大体はそんな内容だった。
さまざまなベンチャー企業が、この状況を救うために思いも寄らないアイデアや画期的な品物を開発しようとしている。それらの企業やアイデアに寄付をするかを決める大きなポイントになるのは、各団体が展開しようとしているプロジェクトの概要、信憑性、代表者の経歴やこれまでの実績、実行できるまでのスピード感だ。
私たちは、信頼できる団体や支援が必要だと思った先を絞り出した。1件につき20~30£(約4000円)を、援助が停止した動物保護施設、医療の現場で働く人への防護服を生産する団体、そしてアーティスをサポートする団体などへ寄付をした。そして、新しいドネーション先を見つける日々は今も続いている。