2020日時:2020年4月22日(水)
場所:ベルリン、ドイツ
texts : Saeko Killy
東京出身、ベルリン在住のDJ。Voodoohopで活動。現在、さまざまなミュージシャンの参加によるインプロリハーサルルーム バンド、AutomatenfallでSingerを務める。
booking .. saekokilly@gmail.com
新型コロナウイルスが世界的な感染拡大にある状況で、ベルリン在住者として文章を書いて欲しいと言われ、感じていることはあるので書いてみます。ただ、私はメインストリームであるテクノカルチャーには疎くて、そっちが知りたい人はもっと詳しいレポがあると思うのでそちらを読んでください。本当に私個人の、ベルリンの外れで生きてる移民目線のレポートです。
1989年11月、国民を2つの国に分断していたベルリンの壁が崩壊。東西ドイツが統一され、再び一つのドイツが生まれました。壁の崩壊後、政治的空白地帯となった旧東ベルリンを中心に、当時の若者たちは廃墟同然のビルを占拠し、DJブースやサウンドシステムを持ち込んで踊り出しました。この流れが今、世界中からクラブカルチャーの中心地として注目を集めるベルリンのアンダーグラウンド・シーンを生み出したと言われています。
私がベルリンに住みはじめたのは一年半ほど前。ドイツ人の彼氏(今は結婚して旦那となりました)と住むために東京から引っ越してきました。東京でもベルリンでもDJとして活動しています。
新型コロナウイルス感染症について初めて耳にしたのは2020年1月の終わり頃でした。友達との会話の中で、「よくわからない感染症が流行っていて、中国が大変らしい」と。でも、その頃はまだ完全に対岸の火事といった印象でした。
2月の終わりから3月になると、あっという間にイタリア、スペインでも感染が広がり、ベルリンでもパーティーにラインナップされていたアーティストが来られなくなるような状況が出てきました。それでも私たちはいつも通りにノイケルンで酒を飲み、旅の荷造りをしていました。 毎年恒例のvoodoohopのブラジル巡礼があったからです。
voodoohopは私の彼がサンパウロに10年近く暮らしていたときにはじめたアートコレクティブで、2017年のFestival de Frueではコアメンバー6人が日本に招聘されたりしています。誰かがfacebookに投稿してくれたvoodoohopの音楽性を表す言葉で、私の旦那も気に入っているものがあるのでそれを紹介しておきます。
「ダウンビートなテクノに、ブラジルのフォークロアを少々、フェイクのシャーマニズムをひとつまみ、そこに、本気の自然回帰のトリップを添えて」
3月8日、私たちはベルリンからドイツを出国し、中米へと向かいました。ブラジルでのvoodoohopの前に、パナマのTribal Gatheringというフェスティバルでブッキングされていたからです。
Tribal Gatheringは2月29日〜3月15日まで開催され、カリブ海に面したビーチが会場というロケーション抜群のフェスティバルです。ビーチのすぐ近くまでジャングルが迫り、近くには川や滝や、泳ぐのに最適な水場があります。
天気も良く、フェスティバル自体も充実していて楽しく過ごしていましたが、その一方で新型コロナウイルスに関する話題は会場内でも刻一刻と更新され、みんな限られたWiFi環境で出来るだけ情報を集めていました。ニュースで見た……、友達に聞いた……、いろんな情報が錯綜していました。ベルリンにいる友達からのメッセージやツイートからも、混乱、困惑、不安などが伝わってきました。だけど私たちはセントラルアメリカにいて、そこまで実感は沸きませんでした。
様子が変わったのは15日くらいだったと思います。一気に感染の波がアメリカ大陸に押し寄せて、「パナマの空港が封鎖されそうだ、出るなら今日出た方がいい」と。私と旦那はプレイの後に酔いつぶれ、まんまと脱出機会を逃しました。目が覚めたらアーミーが会場を闊歩していて、誰一人ここから出さない感。フェスがロックダウンされていたんです。昨晩脱出を試みた人たちも、途中で止められて戻ってきていました。
え、なにこれ……。でも二日酔いで頭まわんない。とりあえず泳ぎに行くか。
この後にブラジルで予定されていたvoodoohopも中止のアナウンスが入りました。私たちもブラジル行きを断念せざるを得ませんでした。すごいスピード感で毎日情報が更新されていきました。会場にいた人たちは14日間の検疫が終わるまではここから出してもらえないことになりました。ここでなんとか過ごすしかない。
photo : Transformational Eye
銃を持ったアーミーが会場を歩いてるのは異様でしたが、人間慣れるもんで(とてもフレンドリーだったし)、毎日会場をウロウロしていれば知り合いも増えて、主催者からは3食バランスのいい食事が安く提供されるし、海は綺麗だし、必要な情報もしっかりアナウンスしてくれるので、それほど不自由は感じませんでした。途中から薬も届けられ、体調も回復した私は毎日シャワーがわりに泳いで、終わらないビーチを散策したり、ハンモックで本を読んだりして、検疫バカンスをそれなりに楽しみました。スタッフのみなさんにはとても感謝しています。
(英文記事へのリンク)
ようやく検疫期間が終わり、チャーター機でドイツに戻れることになりました。このとき印象的だったのは移民も一緒 にピックアップしてくれたことです。 ドイツ人の配偶者である私はもちろんのこと、他国の出身者も滞在ビザがあればみんな問題なくチャーター機に乗ることが出来ました。
ベルリンに戻ると、様変わりした街の様子に驚きました。ゴーストタウン化してる……、駅にもほとんど人がいない。
しかし意識の共有はしっかり出来ている様子でした。スーパーに行っても入口やレジではしっかり2メートルのソーシャルディスタンスを守って並んでいるし、みんながきちんと同じ情報を共有しているから同じ動きができるんだなと感心しました。
そして、わかっていたことですが、決まっていたギグが全部飛びました。私は去年からバンドもやっていて、2月にベルリンで初ライブを終えたところで、夏はツアーしようねなんて話をしていたのですが、すべて白紙になりました。ここに来て初めて、リアルに友達の言っていたことがわかりました。家から出ちゃ行けない、友達にも会えない、DJもないし、予定がない。何していいのかわからん……。 みんなより3週間遅れで、焦りと、無気力感に蝕まれました。
しかし私たちにとって幸運だったのは、文化やアートに対して深い理解を持つ政治家たちが国のトップにいたことです。
3月11日、モニカ・グリュッタース文化大臣は演説を行い、フリーランスの芸術家への無制限の支援を言明しました。とても心に響いたので、一部を引用します。
「われわれは、しかし、現在の状況にあって、文化は良き時代においてのみ享受される贅沢品などではない、と認識しています。ある一定期間、文化活動を諦めなければならないとすれば、それがどれほどの喪失であるかも、われわれは理解しています。
(中略)
芸術家と文化施設の方々は、安心していただきたい。私は、文化・クリエィティブ・メディア業界の方々の生活状況や創作環境を十分に顧慮し、皆さんを見殺しにするようなことはいたしません! (翻訳:粂川麻里生)」
18日にはメルケル首相がその歴史的なスピーチの中で、「フリーランサーも含めたすべての人がこの危機を乗り越えられるように必要なものをすべて投入する」と約束しました。
そして23日、実際にドイツ政府は、総額7500億ユーロ(約89兆7200億円)規模の財政パッケージを承認。27日にはインターネットで助成金・援助金申請受付が開始されました。このスピード感、みんな何かしらの補償が約束されていて、国に守られていると感じました。ブラジル人もスペイン人も日本人も韓国人も……、とにかくドイツ人にも移民にも、分け隔てなく補償の手が差し伸べられたのです。
みんな平等に守られているし、信用してくれている。移民も市民としてカウントしてくれるんだ……それも当たり前のように。外出出来ない間、生活の心配をしないであなたの才能をブラッシュアップしてください、というメッセージも感じました。自己責任という言葉がはびこる日本で政府に何かを期待することなどなかったいち日本人として、これ以上に暖かいメッセージはありませんでした。
ベルリンは世界でも特殊な場所です。たくさんのアーティストが住んでいて、世界的に有名なものからまったく無名なアンダーグラウンドなものまで数多くのクラブがあり、大勢のツーリストが訪れて毎日消費していきます。文化が経済の一翼を担っているのです。アートやカルチャーといった目に見えない感動に賭けた街なのです。例え表現者ではなくても、文化がどれだけ人生を豊かにするのか、ベルリンに住む人たちはみんな知っています。他人の自由を認めることは自分の自由を守ることだという意識がこの街を守っているように思います。スーパー個人主義のようで、こうした緊急事態でも意見の分断はそこまで起きていないように感じます。
ロックダウンによりベルリンのすべてのクラブが休業に追い込まれました。世界で最も有名なクラブの一つBerghainはロックダウンがはじまる前に、4月20日までの箱主催によるイベントのすべてをキャンセルしました。それでもベルリンの音楽シーンが動揺していないのは、政府がはっきりと補償を明言し、スピーディーにそれを実行しているからだと思います。そしてベルリンの壁の崩壊以降、今に至るまで途切れることなく続いてきたクラブカルチャーが人々に受け入れられ、必要とされていることの証だと感じています。
(※規模的に補償から漏れたDJ Barや小さなライブハウスはクラウドファンディングしていますが、少数です)
私は日本人として、日本の文化を誇りに思います。ベルリンにも日本通がいて、私よりいろいろ知っていて逆に教えられたりしています。そして全然こっちでは知られていない、才能溢れる人たちが東京や全国のアンダーグラウンドにいることも知っています。お金になることなんてある意味初めから期待していない、ピュアな音楽家たちが今苦しんでいると思うと心が痛いです。
東京が、日本が、変わっていきますように。もっと生きやすい社会になりますように。その前に、すべての友人が無事にこの危機を生き抜けますように。
<時系列リスト/ドイツ>
2020年1月
27日、国内初の感染者を確認。この後、2月中旬ごろまでの間に最初の感染者と同じ会社の従業員から次々と感染が確認される。
2020年2月
1日、ドイツ国民の避難のために空軍機を派遣し、武漢から102人のドイツ国民とその家族124人が帰国。翌2日には帰国者の中から2人の感染を確認。
25日、イタリアに旅行に行った男性2人の感染を確認。
2020年3月
1日、ベルリンで初の感染者を確認、この時点までの感染確認者数は66人。
9日、感染により2人が死亡。死亡者が出たのは国内初。感染確認者数は1112人。
11日から、ハレ、ザールラント州全域、ハンブルクなどの地域で学校を閉鎖。
16日、隣接するフランス、ルクセンブルク、スイス、オーストリア、デンマークの5カ国との国境で午前8時から国境検問を実施。ほとんどの州で学校や幼稚園を4月19日までの5週間閉鎖。
ケルンで医療施設用のマスク5万点が倉庫から盗まれる。同様の事件は3月に入ってから国内全域で起こっている。
17日、美術館、映画館、スポーツ施設、コンサートホール、バー、動物園、公衆浴場、観光施設などが営業停止、各種イベントも禁止。
新型コロナウイルスの危険度を中から高に引き上げ。
EU首脳陣はEU圏外から圏内への移動を30日間禁止することに合意(EU市民はこれに該当しない)。緊急以外の国内旅行も奨励されていない。
この時点での感染確認者数は8200人以上、感染による死亡者数は26人。
18日、メルケル首相が異例のテレビ演説。新型コロナウイルスに関する問題を「第2次世界大戦以来の挑戦」とし、「私たちは民主主義社会です」と国民に呼びかけた。
飲食店の営業時間を午前6時から午後3時までに制限。テーブルの間隔は最低1.5メートル以上、入店は最大30人まで。3時以降はテイクアウトもしくはデリバリーのみ可能。スーパー、薬局、ガソリンスタンド、銀行などは営業可。
22日、首都ベルリンで都市封鎖(※都市封鎖 ロックダウンについては明確な定義がないため開始日時についても捉え方によってバラつきがある)。これ以前から実施していた学校の休校や娯楽施設等の営業停止に加え、
・外出時は2名以下
・飲食店はすべて休業
・他人との接触は可能な限り避け、距離は最低でも1.5メートル以上あける
・自宅・公共の場所問わず、グループによるパーティーはすべて禁止
メルケル首相は陽性者(予防接種を担当した医師)との接触があったため自宅で自主隔離へ。
23日、政府は、新型コロナウイルスによる影響緩和のため総額7500億ユーロ(約89兆7200億円)規模の財政パッケージを承認。
28日、ドイツ空軍は感染による死者が激増するイタリア北部から重症者6人をドイツ国内へ搬送。隣国フランスの患者受け入れも開始。「欧州が団結すべき時だ」
ベルリン州ではフリーランスを対象とした5000ユーロ(約59万円)の助成金が用意された。
2020年4月
1日、外出と接触制限措置を19日まで延長する旨発表。
15日、メルケル首相は国内16州の知事とビデオ会議を開いた後、厳格な都市封鎖を次週から段階的に緩めると発表。一方で大規模集会は8月末まで禁止。バーやカフェ、レストラン、映画館、音楽ホールなども休業を続ける。
感染確認者数は13万2210人、感染による死亡者数は3495人、致死率2.6%。日毎の新たな感染確認者数は6日連続で減少。