[レポート] Izu Rock&Shop Festival

IZU Rock&Shop Festivalでのテラノバ
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日時:2017年12月17日
会場:レプリカントチャーチ(小田原、神奈川)

シューと出会ったのはドイツを代表するトランス・フェスティバルVOOV EXPERIENCEの会場だ。2004年の夏だった。

海外のフェスティバルに参加するとき、俺の場合はだいたい前日か2日前までには会場入りし、ベストな位置にテントを張って待ち構える。しかしシューは日にちを間違え、1週間以上も前に会場付近に着いていたらしい。まだ会場には入ることも出来ず、ひとり近くの森でキャンプ生活をしていたらしいが、周囲の地元民からは“怪しい東洋人”として白い眼で見られていたということだ。通報されなかっただけでもラッキーな話だ。

その夏は8月終わりのポルトガルに至るまで、ずっとシューと一緒の旅になった。ヨーロッパレイヴを巡るTRIPの様子はDVD『太陽と風のダンス』に収録してある。Festival Tripperのリアルな毎日が垣間見れる作品だ。未見の人は是非観てもらいたい。

その後もシューとはいろんな国でたくさんのパーティーに参加した。基本的には多くを語らず、特に人の悪口や文句を言っているのを聞いたことがない。出会った直後、VOOVの会場を2人で散歩しているときに「ジミ・ヘンドリックスとクラプトンが好き」と言っていたが、その後1年以上がたっても、それ以外のことはほとんどなにも知らないままだった。中学くらいからずっとギターを弾いていると聞いたが、旅先でもギターを触っているところなんか見たこともなかった。

ジミヘンドリックス

日本に帰ってきてシューが家に遊びに来たとき、たまたまうちには兄ちゃんから借りたYAMAHAのアコースティック・ギターが置いてあった。

「そうだ、シュー。ギター演ってんだよね? ちょっとなんか弾いてみてよ」

ギターを渡すと、シューは照れも戸惑いもせず、ただおもむろに弾きはじめた。

シューのギターが上手いのか上手くないのか、俺にはわからない。誰かが弾くギターをそれほど注意深く聴いたこともないし、そもそも音楽的センスが俺にはない。ただ、初めて弾いてくれたそのギターが、なぜか体じゅうの細胞膜を静かに震わせるように響いてきたことだけは確かだった。それは一緒に旅した国々の寂れた街角や一緒に踊った真夏のダンスフロアの記憶とつながっているのかもしれないし、もしかしたらもっと別の時代の、遥か遠い昔の記憶とつながっているのかもしれない。

それから数ヶ月後、やはり家に遊びに来たときシューは突然歌を歌いはじめた。ギターを弾きながらボブ・マーリーを英語で歌った。あまりに突然だったので、俺は聴き終わっても気の利いたコメントのひとつも返せずにいた。2006年だったか、2007年だったか。とにかくシューは歌いはじめた。それはもう、あまりにも宿命的な出来事だ。春が来て枝先から芽が吹きだすように、機は熟し、シューは歌いはじめたのだ。

その後、ときには弾き語りで、ときにはバンドで、シューはあちこちのイベントで歌うようになった。そして今回、久々にライブのインフォが届いた。場所は小田原。むぅ……、微妙に遠い。が、キャプテンに連絡してみると「行きましょう!」と即レスが返ってきた。ならば行くか。我々の仲間であるシューの、テラノバのライブを聴きに!

ということで、今回のイベントもキャプテン・ファミリーと一緒に参加した。以下は、キャプテンによる初のレポートだ。

 

~~~ここからキャプテンによるレポート~~~

 

11月25日に開催された『2変国畑5』の余韻に浸っていた12月3日、ゴルゴ氏からメッセージが入る。

messngerでのやりとり

本イベントのメインアクトであるテラノバの緒方州(シュー)君は、以前僕が働いていた千葉県いすみ市の中滝アートヴィレッジでライブを演ってくれたことがある(その夏はゴルゴ氏とイサPも週末だけ中滝アートヴィレッジ内の“虹の谷”のカフェで働いていた)。同い年ということもあったからだろうか、初めて会ったその時から何年も付き合っている仲間のような不思議な感覚にさせてくれる出会いだった。州君と会うのはそれ以来で、約2年ぶりの再会だ。

シュー@虹の谷カフェ

イベント当日、僕ら家族はコンビニの駐車場でゴルゴ親子をピックアップ。愛犬のイタリアン・グレイハウンドと6人の仲間で小田原へと向かった。このメンバーで旅に出るのは9月に伊豆で行われたサンシャイン・フェスティバル以来だ(前回の『2変国畑5』には子供たちは参加しなかった)。3人の子供たち(K.R.A)も一緒に旅に出かける度にさらに仲良くなっていてくようで、親としても嬉しい限りだ。

1時間ほどドライブし、小田原ICで高速を降りる。ちょうど国道1号と線路が並行して走っているところで、後ろから小田急ロマンスカーが近づいてきた。

「うお~~、ロマンスカーだ! カッチョいい~~♪」

車内では子供よりむしろ大人の方が興奮し、一気に旅気分が盛りあがる。

僕は学生時代からスケボーを趣味にして日々過ごしている。そして実をいえば、僕には20年位前よく小田原に通っていた時期があった。スケボー仲間である親友の地元だったからだ。

僕らがスケボーに熱中していたのは、日本の第3次スケートボードブームの終わりに当たる時期だった。現在、スケボーは空前のブームになっているといわれている。小学校低学年でとんでもない技術を持ったスーパーキッズが日本各地にたくさんいて、女の子スケーターやスケボーパークで親子一緒に休日を過ごすスケボー家族なんかも多い。

このブームは2020年のオリンピック効果といわれているが、業界内ではすでに約10年前、NIKE等のナショナルブランドがスケボーに本格参入して来た時にその予兆を感じていた。

NIKEの様なビジネス規模の大きいブランドが新しいカテゴリーのスポーツに参入する場合、莫大な資金を投じて何年もマーケティングを行う。米国の小学生に「将来なりたいプロスポーツ選手」というアンケートを何年にも渡って続けていたとの話だ。彼らが業界に参入してくると、今まで均衡を保っていた専門ブランドや専門メディアが大きく変化する。スケボーの様な少し不良っぽい遊びは、その影響をモロに受ける。ストリートカルチャーの要素が薄れ、ただの健全なスポーツになっていく。

それまで、スケボー業界はスポーツ化することを拒み続けていた。お金になびくことなく、自分たちの好きなように楽しみ、発信することで、アートやカウンターカルチャーとしての表現力を高めていた。だからこそ最高にカッコよかったし、夢中だった。

クリスチャン・ホソイ スケーター

とにかくその頃僕は小田原へ、ときには大人数で押し掛けるように、泊まり込みでスケートボードのビデオ撮影をしに出掛けた。プロスケーターになるわけでもないのに、みんなで階段を飛び降りたり、急な坂道を下ったり、ときには階段の手すりにアタックしたり……と、今考えるとなかなか危険な遊びをしていた。わざわざこんな風光明媚な場所まで来て、血だらけになったり、捻挫したり……、スケボーの魅力に取り憑かれでもしていなければ考えられない遊びをしていた。でも、僕らにとっては一生の思い出でもあり、青春の証でもある。

スケートボードとキャプテン

今回の小田原行きの予定が決まった時、その友人には“都合が付けば会おう”と連絡を入れておいた。家族を持ち、少しスケボーから遠ざかっていたが、こうしてその当時を思い出していると、ふつふつとスケボー愛が再熱している気がする(笑)。

小田原は歴史上とても重要なエリアだった。古くから東西日本の関所として栄えた街で、大げさにいえば“国境”の様な役割を担っていた場所だ。厳しく管理されていたのだろう、有事の際も防衛線として最重要の拠点だった。狭いエリアだが、相模湾と箱根の山という自然の要塞に守られていて、その為なのか、何だかほかの地域にはない特別な安心感がある。この国道1号も、昔から東海道としてたくさんの旅人が行き来していた道だ。両側に建ち並ぶ建物を見ていると、いまなお江戸時代の趣きを残しているように感じてしまう。大好きな土地だ。

小田原城

そして小田原といえば、やはりカマボコ。年末も近く、ちょうどお歳暮のシーズン。ゴルゴ氏も旧友から贈られてきたお歳暮のお返しをしたいとのことなので、まずは超有名店の『鈴廣かまぼこの里』へ。しかし店前に着くとその巨大な店舗に圧倒され(なんと本店の両側には『かまぼこ博物館』や『すずなり市場』などの立派な建物までが並んでいて、しかも広大な駐車場はほぼ満車。まさに“かまぼこ将軍”とでもいった勢いだった)、僕たちは車も降りずに素通りしてしまった。

とりあえず先にイベント会場に行ってみようということになり、開場時刻の13時ピッタリに会場に到着。店内を一度覗いてみたが、州君の姿も見当たらなかったのでコインパーキングに車を止め、散歩をしながら土産物を物色し(かまぼこは『籠清』で買った)、昼ごはんを食べ、小田原城を観光し……、そして6年ぶりの親友との再会を果たした。

子供たちとランチ

6年ぶりに会った親友は、ちょっと照れた感じで、初めて会ったときのようにモジモジした様子だった(おそらく、僕がスーパーマリオみたいな髭で現れたのがいけなかったのだと思う。もちろん、会話の中で一度も髭については触れられなかった…)。でも近況報告を済ませる頃には、すっかりいつもの感じになっていたので安心した。お互いの嫁さんも紹介し合い、これからも長い人生もう少し一緒に過ごす時間を増やしていこうと約束して別れた。別々の場所で生活し、会わない期間も長かったが、きっかけがあればまた一緒に遊ぶようになるんだろうと感じた。この旅の再会がきっかけになってくれれば最高だなぁ~。

IZU Rock&Shop Festival
イベント会場の『レプリカントチャーチ』に戻ったのは15時頃だった。長い間廃墟状態だった音楽スタジオを店主自らがリフォームし、2016年12月にオープンしたらしい。オープン後も少しずつ手を加えて常に変化している、ぬくもりと愛情に包まれたお洒落なLIVE BARだ。

僕らはバーカウンターでビールを頼み、とりあえずの乾杯!
ビールを飲みながら、カウンターのお兄さんにお店について尋ねてみると、物腰柔らかく、誠実そうな感じの彼が「実は来年早々に、閉店になってしまうのです」と答えた。一生懸命リフォームして商売も良い感じになってきたところで、ビル一棟丸々地上げしたいという業者が出てきたというのだ。いい雰囲気のお店なのに、残念な話だ。

レプリカントチャーチ店内

閉店までの時間はあまりないとは思うが、ライブハウス兼カフェバーの経営に興味がある人がいたら是非立ち寄ってみて欲しい。ステージや客席のバランス、照明や小物に至るまで良く作りこまれた店内は、お手本に出来るところが数多く見つけられるはずだ。

ステージに目をやると、伊豆のバンド“最南端”が演奏をはじめるところだった。

とにかく、楽しそうに演奏する予測不能なJamバンド、誰かが止めないといつまでも演り続けてしまうのだろうなぁ。

続いて、地元小田原の“バラッドショット”の演奏がはじまり。

福島民謡をロックアレンジにしたり日本人の伝統的リズム感と爽快感を持ったツーピースバンド。迫力に圧倒された。

最後に、この旅の主目的である“テラノバ”の演奏だ。

演奏後、州君と話してみると、彼も僕に対して初めて会った気がしない不思議な印象を持っていてくれていた。めちゃめちゃ嬉しかった。2年ぶりに2回目の再開をした友達と、6年ぶり20年来の友達が「嬉しかった、また遊ぼう!」と同じ言葉をかけてくれた。すごく幸せな気持ちになった。

友達が増えると旅に出る理由が増える。僕にとって友達は人生の大切な宝物であり、旅の目的地だと思っている。もっとたくさんの友達を作って生きていきたいし、いろいろな場所へと旅に出たい。そして子供たちにもたくさんの友達を作って欲しいと思っている。

シュー、テラノバ

小田原城で元気に走りまわる子供たちの笑顔を見守りながら、いつまでも仲良く成長していって欲しいと切に願って、このレポートを終わりにしたいと思います。

ありがとうございました。

captain

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