[レポート] Solipse2001 Total Eclipse Festival in ZAMBIA

Pocket

2001年。 天からの啓示を受け(というか、ただの思い付きで)、レイヴの旅へと出発した。はじまりはアフリカ大陸。皆既日食を巡る旅はザンビアからはじまった。

俺は『LOVE PA!!』というダンス・カルチャー雑誌に直談判し、旅の様子を短期集中連載してもらうことになった。ネット環境は今と比べると信じられないほど悪く、一眼デジカメなんてものも普及していなかった。 撮った写真をすぐに現地で現像し、持参したVAIOノートに文章を打ち込んで外付けのFD(フロッピーディスク!)に落とし込む。プリントした写真をセレクトし、FDとともにEMS(国際宅急便)で編集部に郵送する。

レイヴ巡礼者ならわかると思うが、我々Festival Tripperは基本的にパーティーがひとつ終われば、そのまま次のパーティーへと移動する。会場から会場へ。買い出しはその道中で済ませ、宿に泊まってゆっくり2~3泊、なんてチャンスはあまりない。

連載は夏の間だけだったので最終回の総集編も含めて5回で終わったが、旅の道中で毎月上記の作業をこなしていくのは、なかなか面倒だった。 そのようにして書きあげた紙面が以下のページだ。

雑誌『LOVEOPA!!』連載。ゴルゴ内藤のトランス五十三次【第1回】LOVE PA!! 短期集中連載「ゴルゴ内藤のトランス五十三次」第1回

写真をクリックすれば文字が読める程度に拡大されるはずだが、読みづらいかもしれないので以下に文章を載せておく。もう15年以上も前の話だ。微笑ましくもあり、恥ずかしくもある。ちなみに『トランス五十三次』というカッコ悪いタイトルは雑誌の編集長が考えたものだ。 (以下、雑誌掲載内容の転載、誤植のみ修正)

【タイトル】
ゴルゴ内藤の『トランス五十三次(第1回)』

【サブタイトル】
『Born to Dance on the Wild Planet!』

【キャッチ】
『2001年、ボクは宇宙の旅の替わりに、世界レイヴ巡礼の旅に出る』

【本文】

ムリジャーニ! 日本の皆様、お元気ですか? クダラナイ学校に退屈な仕事、常識と規則と世間体と時間厳守と、に縛られてダンスすら出来なくなってたりしてないでしょうね? さて、ボクは今、ザンビア。どこまでも広がる大地と焦げ付きそうな太陽に抱かれてお昼寝。いやー、気持ちいいですな~。なんでこんな所にいるのかと言えば、もちろん21世紀最初の皆既日食を体験するため。そう、世界レイヴ巡礼の旅『トランス五十三次」のはじまりにふさわしい7DAYSトランス・パーティー。ぶっ壊れるまで踊り続けるぜーぃっ!

まずは成田空港からバンコクへ。約6時間のフライト。翌日深夜、バンコク発アムステルダム行きに搭乗。約12時間。アムスで3時間ほど乗り継ぎ待ちの後、今度はキリマンジャロ経由ダルエスサラーム行き。また飛行機に12時間。メシ食ってる以外はほとんど寝てた。6月11日夜11時、ようやくタンザニアの首都ダルエスサラームに到着。もう夜だし、お金もセーブしたいので、便所の洗面台で頭だけ洗って空港前で野宿。翌朝、湛山鉄道に乗り込み、2泊3日(約50時間)でザンビアを目指す。車内はパーティー客も多く、寝台もなかなか快適。時には車窓から像やキリンが見えたりして楽しかった。

結局、会場入りできたのはパーティー開始の前日だった。そしてそこには、エクリプスを祝うためだけに生まれた。パーティーピープルのための小さな村ができあたりつつあった。紅い大地と青い空、灼熱の昼と凍える夜。まぎれもなくアフリカだ。

パーティーはザンビア有力者の長~い演説の後、スターサウンズオーケストラのライヴからはじまった。スゲー勢いで音が弾ける。早くもワケのわからないカオスな状態が生まれ、このままブッ飛ばすのかと思いきや、夜中になりDJが替わるとなんだかオトナシクなってしまった。夜の寒さもかなり影響しているのだろう、とにかく寒い。踊り続けるか、テントに戻るか、ほとんど二者択一だ。朝日が昇り、暖かくなってくると。また盛り上がる。そんな感じだ。そしてすぐに、太陽は肌を焦がすように照り付けはじめる。

圧巻だったのは、21日のトータルエクリプスのライヴ。この日は、その前のマークアレンもカッコよかった。日食に向けて会場のボルテージも急速に高まっていく。そして13時10分、ステージ後方で輝いていた太陽が、ほんの少し輪郭を変える。日食がはじまった。やがて音が止み、時間の経過とともに陽射しが柔らかくなってゆく。太陽が半分くらいになっても、まだ明るい。周りの連中とお喋りしながらも、気分が高揚していくのがわかる。3分の1ほどになっても、まだ明るい。が、徐々に気温が下がってゆく。やがて夕日のような空気が漂いはじめ、皆、口数が少なくなってゆく。あと少し。会場全体に叫び声が広がる。あと、ほんの少し。ヒィ~、勘弁してくれ。ああっ、重なるぞ。15時08分、叫び声が悲鳴に変わる。その瞬間、月は太陽にピッタリと重なり、一瞬にして闇がすべてを包み込んだ。

皆既日食。全員の意識が光のリングの中に集中する。ヤベー、目撃してしまった。

今回、パーティーに関してのみ言えば、文句を言いたいことは多々あった。特に、DJ陣の弱気なプレイぶりには、時にイラダチを覚えるほどだった。が、それでもパーティーは素晴らしい。周りを見れば、ただ日食とともに踊るためだけに世界中から集まったイカレた連中ばかりだ。踊れ。ダンスはボクたちに残された唯一のリアルコミュニケーションなのだ。踊れっ、そして狂えっ! 波乱万丈を予感させる“世界レイヴ巡礼の旅”がいよいよ幕を開けた。それではまた次回まで、ボレナッ!

(転載ここまで)

 

確かに恥ずかしい文章だが、今こうして読み返してみると身につまされる部分もある。後先考えず、フルオンで突っ走っていく姿勢が潔く、まさに今の自分に求められているものだとも思う。

そしてDJ陣への苦言も微笑ましい。当時の俺はとにかくダンスでぶっ壊れることを至上の目的としていた。スカしたプレイのDJならDJブースの目の前でドカドカと足を踏み鳴らして煽りまくった。そこが海外のパーティー会場ならなおさらだ。日本刀を手にしたSAMURAIのごとく、一刀両断の勢いで攻め込んだ。

左ページ最下段の写真の友人MAGUと、つい先日(2017年)のRe:birth Festivalで再会した。実にこのSolipse2001以来、ザンビア以来16年ぶりの再会だった。3軸ジンバルにEOSの5Dをセッティングして、オン・ステージでアーティストを舐めまわすように撮影していた。3日間鉄道に揺られ続け、ようやく到着したザンビアの町で、やたらめったらオーバーアクションで買ったばかりの一眼レフカメラを構えていた奴の姿を思い出す。変態スピリットはまだまだ健在のようで頼もしい。

ちなみにMAGUの写真のキャプションに「今回は不完全燃焼に終わり、涙を飲んだ」と書いてあるが、いったい俺は何を根拠にそんなことを書いたのか? 確かに俺は不完全燃焼だったが、MAGUが同じように不完全燃焼だったかどうかはわからない。奴は今、神戸を拠点に活動しているらしい。次に会ったときに確認してみようと思う。

とにかく、このSolipse2001は俺にとって初めての皆既日食フェスティバルだった。マコトがいて、ケイがいて、マサがいた。ノブとマユミちゃんがいて、ヨシくんとタカがいた。エアロビ先生と出会ったのもこのパーティーだった。

その後俺は2002年のオーストラリア、2006年のトルコ、2008年のモンゴル、2009年の奄美と皆既日食を追いかけた。太陽と月がぴったりと重なっている間だけ現れる、あの異次元の空間。突然宇宙のただ中に放り出されたようなあの感覚。普段目にしている世界の裏側を目撃してしまったような畏怖の思い。すべては皆既日食の体験なしにはわからなかったことだ。

そして2017年8月、北米大陸を皆既日食が横断する。フェスティバル会場はオレゴンだ。

<参考> 下の写真はSolipse2001のフェスティバル会場で配られたプログラム冊子(クリックで拡大)

表紙

表紙:当時ではまだ珍しい冊子タイプのプログラムだった

P1~P2

P1~P2 10日間にも渡るフェスティバルだった

P2~P3 アフリカ大陸を横断する皆既日食の説明

P2~P3 アフリカ大陸を横断する皆既日食の説明

P5~6 そうそうたるメンツが並ぶラインナップ。OzricTentaclesとか本当にやったのか?

P5~6 そうそうたるメンツが並ぶラインナップ。OzricTentaclesとか本当にやったのか?

P7~P8 シャーマニックな儀式のペイント

P9~P10 

P9~P10 ロケーションと設備。InternetCafeなんてあったの?!

P11~12

P11~12 チケット販売場所。アルゼンチンからザンビアまで18ヵ国に及ぶ

P13~14

P13~14 移動手段とルールについて。会場まで辿り着くのもサバイバルだ

裏表紙

裏表紙:Teach peace – fight racism in all countries!

 

(※ 以下の関連記事もお読みください♪)

[レポート] SOLA LUNA 2001 @Samothraki Island, Greece

Pocket