[レポート] SOLIPSE(Eclipse Festival in Hungary 1999)

solipse1999 Ozora
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text : momo / photos : momo, Chihiro

日時:1999年8月9~15日
会場:オゾラ村(ハンガリー)

Ozora FestivalのDaniel Zimanyi氏が永眠されました

 

“Ozora Festivalプロデューサーでもあり土地所有者でもあるDaniel Zimanyi氏が永眠” ということもあり、ゴルゴ内藤氏からSolipseのレポートをしてくれとの依頼があった。今さらながら18年以上も昔の記憶を掘り起こしてみる。

1999年8月11日の皆既日食に合わせて、Solipse(1999年8月9~15日)はハンガリーのオゾラ村で約1週間ほど開催された。

Solipseのフライヤーを手にしたのは同じ年のゴールデンウイーク前、道志の森キャンプ場で行われた”ECHO&NYMPH(1999年4月29~5月1日)” でのテントサイトだ。ドイツより一時帰国していたカズエさんから手渡された。皆既日食とは何たる現象なのか、海外のパーティーがどんなものか想像すらできず、手にしたそれはいつものフライヤーのようでもあり、何か未知の扉を開く鍵のようにも感じていた。

Solipse 1999 フライヤー

飛行機のチケットもとり、毎週のように行われていた代々木公園南門のフリーパーティーに行った帰り道、ルーマニアでの日食の立ち話に出くわした。当時よくパーティーでお世話になっていたFullmoon Mondo氏も「ハンガリーちゃうでルーマニアやで」と意味深なことを言っていたのを思い出し、立ち話に加わった。

Fullmoon Mondo
【Fullmoon Mondo】
元レゲエDJ。1993年バンガン島(タイ)のフルムーン・パーティーにてサイケデリックDJとして再起動。96年よりトランス・パーティー “NEWWORLD” を開始。東京ではシェアハウスの先駆けともいえる『FULLMOON HOUSE』も運営していた。コロンビア、ルーマニア、トルコ、奄美大島など皆既日食パーティーでのプレイも多い。現在は超速(bpm:180〜200)のHI-TECHを中心としたスタイルで、スロバキアの”NOISE POISON FESTIVAL”、スリランカの”ATMAN FESTIVAL”にも連続して出演している。観音サウンド大阪支部長。 地域通貨を基軸とした、ジャンルの壁をぶち壊した実験パーティー 「ええやないか」オーガナイザー。

 

”ルーマニア”、”ドラキュラ城”、”日食”などいくつかのキーワードを元に、あるHPにたどり着いた。英語だらけのHPにはドラキュラ伯爵のイラストや、文節ごとにSpace Tribeの洋服やAlex Greyのアートワークのモチーフになりそうな、翼が生えた目のイラストが散りばめられており、すべてプリントアウトしたが(A4で20ページぐらいあった)ほとんど読まず、そこから読み解いたのは『RAMNICU VALCEA(リムニクビルチャ)』という町のキーワードのみ、そしてそこに列車の駅がある事を確認した。

Alex Grey
【Alex Grey】
1953年生まれ。ヴィジョナリー・アーティスト、チベット密教実践者。1970年代、神秘主義やヒッピー・カルチャーに傾倒する。LSDやDMTなどサイケデリックスの影響下で垣間見られるような光とエネルギーの複雑なラインを描写した宗教画のような作品で高い評価を得ている。2017年のオレゴン皆既日食フェスティバルでもトークショーやワークショップを開催していた。

 

地図 ルーマニア

長野県和田峠で開催れれた”NEW WORLD(1999年7月17日~20日)”で土砂降りの雨の中、ぬかるみに足を取られないよう地面に敷いた木製のパレットを破壊しながら激しく踊った次の日、すぐ横で涙を流すイスラエリーと朝日が昇るのを眺めた頃には、ルーマニア行きを決意していた。フライヤーを手にしてから約2ヶ月後、皆既日食の3週間ほど前だ。

8月初旬ベルリンから列車でルーマニアに向かい、道中旅慣れない僕は幾度かトラブルに見舞われた。スロバキアのブラティスラバでは『地球の歩き方』にある絵に描いたようなニセ警官に紙幣を抜かれ、リムニクビルチャに向かう列車でしつこくパーティーのことを話してくる人物宅に招かれるも、酒に酔わされまたもや紙幣を抜かれ、挙句にカメラまで壊された。

NASA Eclipse Map(クリックで拡大)

社会主義から脱却したばかりの東欧の洗礼を受けつつも、途方にくれていた僕は地元のカップルに救われひと晩泊めてもらう。彼の名はマリアンといい、今まで見たこともない壊れ方をしていたカメラレンズをいとも簡単に直してしまった(バイトで家電製品の修理をやっていた)。町では日食バブルさながら道路の舗装工事が真っ盛りで、その傍らで裕福そうな黒人がオープンカーをホッピングさせて祭り前を楽しんでいた。

インフォメーションをあまり持ち合わせていなかった僕は、街中で出会った金髪にニットキャップを被った日本人(イズミ)に声をかけ、目的地が一緒であることを確認して合流した。

ネットカフェにHPを確認しに行くと、”町に着いたらガビに連絡しろ”と更新されているとイズミから聞かされ、すぐさま町を離れる準備をし(懲りずに地元の若者の家にザックを預けていた)ガビの車を呼び寄せ一路さらに奥地へと向かった。

向かった先は世界文化遺産であるホレズ修道院、知っている顔もちらほらいてひと安心、目的地にたどり着いたことを実感する。宿泊先は修道院付近の民家で、1泊10ドルで泊めてもらえるようにすでに話がついており、泊めてもらう部屋には日本人の先客が2人いた。

ルーマニアの宿にて

金品に関するトラブルにあっていたため、ポリスレポートをもらいに町へ降りると、駅に到着したばかりのダイスケに出会う。黒いTシャツにグレゴリーのデイパックひとつの出で立ちでかなり軽装だなと思った印象があるが、先ほどの修道院にもインドからの道中バッグが壊れすべての荷物を布に包み、肩がけにして現れた日本人がいたことを思い出す。

日食時に100人程度の小規模なパーティーもやるということなので、我々はさらに山奥へと入っていった。前夜、山中で焚き火をしながら缶詰などを食べ、夜が明けてからはサウンドシステムの運搬や設置も手伝った。

皆既日食を体験した場所

日食開始ほんの数時間前にFullmoon Mondo氏ともパーティー会場である山頂で再開。「いろいろあってロンドンから10人で出発したけど辿り着いたん2人だけや、話せば長くなる」と聞かされる。

午前11時過ぎ。
初めて体験する日食がはじまる。

鳥や虫がせわしなく動き出し、日食グラス越しの太陽はじわじわと細くなり、少しずつ肌寒くなってきた。

ある瞬間、太陽のうしろからすべてを覆うように闇が広がり、傍らでは抜けるように星が輝いていた。

目から涙が溢れ、頭上にはリングが輝いていた。

まるで宇宙の底が抜けて、ぽっかりと穴が空いているようだった。

そして鶏が鳴いた。

日食談は皆思い思いに形容しているので他も参考にしてもらいつつ、未体験の方は是非1度は足を運んでもらいたいと思う。

当時踊ることを覚えはじめたばかりの僕はパーティーに幻想を抱いており、山頂のサウンドシステムから流れる音には満足できずにいた。とあるオーディエンスから水鉄砲で水をかけられ、ココじゃない! と憤りを感じた。村から自分の足で運んだ丸いスイカを半分にして食べるも、軽トラックに満載にしたスイカ売りの少年の前では虚しさが募るばかりだった。

半分のスイカ

山を後にし、修道院から先程までいた山間を望むと稲妻が静かに走っていた。後にFullmoon Mondo氏から話を伺うと、山の上では雹が降るほど天候は荒れたそうだ。翌日12日から、僕とダイスケとイズミは2日半かけてSolipseへと向かった。

アラドからブダペストへと経由し、シモントーニア駅に着くとそこはもうオゾラ村だ。シモントーニア駅付近でパーティー帰りのヨーロピアンからリストバンドを譲り受け、いざSolipseへ。日食をルーマニアで過ごしたので滞在できるのは14日~15日のラストひと晩だけだ。

会場に入ると広い丘陵地帯が広がっており、奥に向かって右側の茂みにテントを張り基地を構えた。残りひと晩とはいえまだまだ所狭しとテントが張られていたので、迷わぬようにダイスケの黒がベースに赤やオレンジを基調としたバティックを目印に張った。

Solipse 1999 フェスティバル会場

テントを張り終えた後はフロアのチェックだ。奥に進んでいくとひと目でわかるメインステージを確認、その他にもステージはあっただろうがまったく見ていない。ステージに向かう途中、やはり右側の茂みにはテントが多く張られていて、車を乗りつけている連中も多数いる。どこかにマーケットはあったのだろうがあまり記憶にない。基地から歩いてきた道とフロアを挟むように逆側には、フロア全体を見下ろせる丘がなだらかに広がっている。

会場内の様子を偵察に行ったり水場をチェックしたりするうちに時間は過ぎ、暗くなりはじめたので基地に戻った。ひと通り準備も整った僕らは24時にフロアへと向かった。今なら真っ先にタイムテーブルを確認しに行くところだが、残念ながらチェックしておらずレポートしきれないのが残念だ。

夜のフロアはたいして明るくもなく淡々と足場固めをするように踊った。おぼろげながら思い出すのは、気持ちよさそうに両手を広げて踊っているイズミの姿だ。気持ち良さそうだったので声はかけなかったか、あるいは世間話程度しか言葉は交わさなかった。その夜誰かと言葉を交わした記憶はあまりない。ひとしきり踊った後、気がつけば辺りは明るくなっていたように感じる。

Solipse 1999 total eclipse festival

明るくなりステージに向かって右側のスピーカーの前あたりで踊っていると、何やらヤバい雰囲気を醸し出す黒人のセキュリティに戸惑いを感じた。今でこそビッグパーティーでは当たり前のようにセキュリティを見かけるが、当時 ”Security” とデカデカとあしらったTシャツを着た黒人を目の当たりにし、これから何が起きるのだ? と驚いたものだ。

平常心を取り戻しつつあたりを見渡すと、なんとダイスケがステージ右脇で裸足で踊ってるではないか。俯き加減ではあるが胸を張り両足を大きく開いて踊っている。肩より少し下まである髪を振り乱し、自分の世界に入り込んでいる様子だ。彼は会場に着く前からEtnicaのMax狙いであることを公言しており(フロアにいた時にMaxがやったかどうかはわからないが)、ダイスケの様子を見ている限りではきっと満足のいくフロアだったに違いない。

Solipse 1999 ダンスフロア

ココか! ようやく探し当てた場所がココにあった。人波をかき分け、ダイスケに声をかけると「なにブーツ履いてスカしてんの?」と突っ込まれ、スピーカーの脇にブーツを脱ぎ捨て、地面が足の裏に吸いつくのを確認し、再び大地を踏みしめた。

Solipse1999 Ozora

一方僕の狙いはJorgだ。踊るということを学んだのも彼のビーチでのロングセット(阿嘉島で行われた “沖縄ピース1999年3月31日~4月4日”)だったので外すわけにはいかない。安定感のある音とわかりやすいリアクションで遠目にもJorgがプレイしているとわかる(後にShiva Space Japanが沖縄にあった数年、通いつめることになる)。Jorgファミリーのカヤさんと天志にも再会し、フロアを見渡せるなだらかな芝生の上でつかの間の休息も過ごした。去りゆくカヤさんに抱えられた天志(当時3歳)は、離れていく僕に何度も振り返っては手を振り返してくれ、そのシャンティなやり取りは今も忘れない。


【Shiva Jorg / DJ Jorg】
1989年インドのゴアでDJ活動開始。友人から譲り受けたバス(通称:テクノトラゴン)を運転し、世界中のパーティーを渡り歩く。当時JorgがプレイするDJブースには破壊と創造、舞踏の神であるシヴァ神の武器“三叉の槍”が飾られていた。旅情感あふれる哀愁のあるメロディラインは各地で熱狂的なファンを獲得し、同時に自身のレーベルShiva Space Technologyを設立。2002年5月から活動拠点を日本に移し、新たにShiva Space Japanを旗揚げ。2007年にイビサ島に移住し、現在も現役で活動を続ける。

 

solipse 1999 fellows

日も高くなり、またもやフロアに不穏な動きを感じ取る。うしろを振り返ると放水車がフロアにまで入ってきており、所構わず水を撒き散らしている。様子を伺いながら近づいてみると、皆気持ち良さそうに水を浴びクールダウンしているではないか。目の前では坊主頭のイスラエリー女性が小刻みながら激しく全身を震わせ、頭からは汗や水の飛沫を撒き散らしながら踊っている。ひとしきり考えたが、水を浴びない理由はどこにもない。

Solipse 1999 ダンスフロアと放水車

Solipse1999 Ozora

後方左側からフロアをまわるように前へ戻ろうとすると、健康的に身体中の毛穴を開き、全身で皮膚呼吸するがごとく軽快に踊るカズエさんにも再会した。「足りてる?」と聞かれた僕も当然、何時でも何処でもどんな音にも全身で反応できる状態に身体は整っていた。

水を飲み、乾いた身体に水分を補給する。汗をかき、太陽に照らされて踊り、身体中の水分を蒸発させる。濡れた衣類もまた同様に太陽と身体の熱で乾き、また汗で湿気を帯びていく。自分の身体の中で熱と水分が循環し、それを繰り返していくとまた新たなエナジーを生み出していく、そんな自分の中の小さなサイクルを感じとる。

Solipse1999 Ozora

ブダペストから南西に100キロほど離れた人口約1200人の田舎町オゾラに、皆既日食のために世界中から約2万人のフリークスが集まったと言われている。旅行者は外貨を落とし、地元民は物資を売りにパーティーに集まる。小さな村はこの1週間で約20倍に膨れ上がり、人や情報が行き交う町ができあがる。この地で経済もまた循環しているのだと実感する。

Solipse 1999

18時をまわり、音は一向にやむ気配がないので1度基地に戻ることにする。途中アフターパーティーの情報を耳にする、どうやらJorgの誕生日が近いらしく、それを祝うパーティーになるらしい。夕暮れどき、メインフロアから基地に戻る途中、ルーマニアの山頂で別れたぶりのFullmoon Mondo氏とも再会した。とうに突き抜けていた僕は夕日をバックに気持ちよく踊っていると、足元に置いたプラスチックコップを指差し「それお前のか?」と訪ねてくる若者がいた。せっせとゴミ拾いをしているらしく大量のプラスチックコップを抱えているが、どうやらコップを戻すとキャッシュバックしてくれるお店があるらしい。地元の人間ではなくパーティーに遊びに来た人物のように思えたので、僕は誰も欲しがらない飲みかけの緩いビールを渡さないことにした。

Solipse 1999 会場内

フロアから少し離れたこの目抜き通りは人々が行き交い、フロアとはまた違った情報がやり取りされる通り道となっていて面白い。5月に根の上高原で行われた”Diabla Blanca”のパーティーで会ったカマちゃんから、ロールスロイスのオープンカーを乗りまわすクマの着ぐるみを着た人物こそジャミロクワイのJK本人である、と噂を聞いたのもこの通りだ。真実かどうかは噂の域を超えないので、いつか本人に会うことがあれば直に聞いてみたい。またパーティーでよく見かける名も知らない男性から冷奴をご馳走になったのもこの通りで、その驚きは今でも大事な思い出としてたまに友人たちに吹聴している。

Solipse1999 Ozora

基地に戻ると既にダイスケもイズミも戻っており、テントでのんびりと過ごしていた。18時間フロアで遊び続けた僕は寝袋に身体を預け、テント内にいたダイスケともほとんど言葉を交わさず眠りに落ちた。

翌日、僕らはアフターパーティーには行かずSolipseを後にした。

イズミは世界一周チケットを持っており、日食から旅をはじめ、この後はアジアを放浪すると言っていた。ダイスケはこの後、イビザ島に行った。このレポートに登場する人物の大半は、この後ほとんど会えていない。

イズミの後ろ姿、宿にて

いろんな人がいろんな場所から、いろんなものを持ち寄り、時にはいろんなものを捨ててパーティーに辿り着く。その時間を共に過ごし、その空気を味わい、共に大地を踏みしめて、何も考えずただひたすらに踊る。

その原始的な動作で生み出されるエナジーの循環は、個人の内側から渦巻きはじめ、やがて人々は互いに共鳴し合う。

不規則に巻き起こる個々の振動がひとたび触れ合うと、そこらじゅうででシンクロがはじまる。

そしてその共振と共に、フロア中が大きな渦へと飲み込こまれていく。

いったいその先には何があるのだろうか。20年近く経ってもなお、その答えを探しながら踊っている。

そう、みんなハッピーになればいい。

アフター Solipse 1999 ハンガリーの宿にて

執筆中なぜか、パーティーでよく見かける長髪でガタイがよく、昆虫のようなサングラスをいつもかけているアイツを2度も電車で見かけた。確かSolipseにも行っていたはずなので思わず声をかけそうになるが、通勤中の僕らは擬態する昆虫さながら街に溶け込んでいるので、もし電車内で突然18年前のパーティーについて話しかけようものなら、仮に本人であったとしても怪しさのあまり人違いであると返答するだろう。彼の名前は昔路上で聞いたが覚えていない。

帰国後、こだまの森で開催された”VISION QUEST Gathering(1999年9月4~5日)”フロア後方小高い茂みの中央付近で、夜焚き火をしながら味噌ラーメンに麻婆豆腐をトッピングし、豪華な腹越しらいをしている最中、隣りのテントではレーズンパンを頬張るゴルゴ氏がいた。

沖縄ピース沖縄ピース1999

SOLIPSE
Date:9-15, August, 1999
Place:Ozora, Hungary
Eclipse Time:11,AUG,1999 11:51:00LST(2min.12sec.)

 

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