日時:2001年8月31日~9月3日
会場:サモスラキ島(ギリシャ)
photos by Yuma Shimazaki
2001年、俺はレイヴの旅へと旅立った。
6月に開催されたザンビアでの皆既日食フェスティバル Solipse2001が終わると、夏がはじまるヨーロッパへ飛んだ。生まれて初めて訪れる土地だ。
それまで旅といえば東南アジアや中南米ばかりでヨーロッパなど眼中になかった。物価の高い地域での長旅は困難だし、わざわざ行かなくともなんとなく想像はついた。東京とたいして変わらないはずだ。
それでもダンス・カルチャーの本場でパーティーやフェスティバルに参加してみたいという思いはあった。ダンスフロアにまだ見ぬ仲間たちが待っているなら、そいつらと踊ってみたいと思った。とりあえず1度だけ行ってみよう。帰国したら「やっぱたいして面白くなかったよ」と言えばいい。そしてまたアジアや中南米を巡る旅に戻ればいい。
ところが、この2001年の渡欧を機に、俺はその後何度もヨーロッパを訪れることになる。特に2001~2003年のヨーロッパの夏は、間違いなくそれまでの生涯で最も楽しい夏だった。すべての瞬間が輝いていた。眩しい風を追いかけるようにして、パーティーからパーティーへと移動した。そしてこの3年間、いつも楽しみにしていたフェスティバルがSOLA LUNA(2年目よりSamothraki Dance Festivalと改名)だった。
初の開催となったSOLA LUNA 2001 については当時短い連載をしていた『LOVE PA!!』という雑誌に記事を書いた。今回はその記事を掲載しようと思う。
(以下、『LOVE PA!!』2001年12月号掲載内容を転載。写真はクリックで拡大)
【タイトル】
ゴルゴ内藤の『トランス五十三次(第4回)』
【サブタイトル】
『Born to Dance on the Wild Planet!』
【キャッチ】
Beach, Mountain and “SOLA LUNA” !
【リード】
この夏、ヨーロッパのパーティーを巡っている連中の間で、まるで合言葉のように囁かれていた言葉がある。
― SOLA LUNAでまた会おう―
エーゲ海に浮かぶ神秘の島=サモスラキ・アイランド。ボクたちはそこに集い、21世紀最初の伝説を体現した。
【本文】
クロアチアで肩ならしを終え、ギリシャへGO!
ティカニス・マラガ? いよいよヨーロッパの夏も終わりが近づいてきた。ベルギーのDANCE A DELICが終わった後、またしてもジェフリー家でタダ飯タダ泊に甘えたボクは、熱い太陽を追いかけるように南へ南へと下っていった。EU圏内のバス移動は楽チンだ。スイスを縦断するとき以外はパスポートチェックすらなかった。まるでひとつの国を旅しているようだ。
午後4時にアントワープを出発したバスが、翌昼過ぎにヴェニスに到着。そこから電車に乗り換え、国境の港町・トリエステへ。約2時間。さらにバスで揺られながらスロベニアを抜け、ようやくクロアチアに辿り着く。8月18日からの3日間、MEDIA MEDITERRANEAのパーティーが待っていた。
内戦により疲弊した国土、怯えきった人たち……。クロアチアに対しては漠然とそんなイメージを持っていたが、実際はまったく違っていた。特に、パーティー会場に近いプーラの街は完全なリゾート地だった。夜遅くまで、夏を満喫する観光客で溢れ返っている。物価も高い。下手すりゃ、ドイツ以上だ。
とりあえず公園野宿で夜を明かしたボクは、翌朝、買出しを済ませて早々に移動を開始した。会場は海から徒歩5分の廃城跡地周辺。フライヤーが案外立派だったので期待していたが、パーティー自体は完全に草パーティーだった。ま、それはそれで楽しかったんだけど、そろそろ余興は終わりにしてギリシャに向かわなければ。そう、今夏最大のアイランド・パーティー=SOLA LUNAだ。
このパーティーのフライヤーを手に入れたのは、ボクにとってヨーロッパ発のパーティーとなったSENSEBLENDER(ベルギー)の会場だった。そこにはクリスタルブルーの海と真っ青な空に挟まれた不思議な島、月明かりに照らし出された遺跡、岩肌を滑り落ちる滝、水をたたえた深い森……など、魅力に満ちた写真が溢れていた。旅の途中、暇があればバッグからそれを取り出し、飽きることなく眺めていた。どのパーティーに行っても、心のどこかでSOLA LUNAのことを考えていた。そして、それはボクだけではなかったようだ。パーティーで出会ったイカした連中は、誰もがこう言って去っていったのだ。
「SOLA LUNAでまた会おう」
誰もがハチ切れそうな期待を抱えていた。そして、次の満月には答えが出る。
問題はギリシャまでの足の確保だ。もう、お金もあまり残っていない。ヒッチハイクが一番安上がりだが、出来るだけ早く到着したいという思いもあった。MEDIA MEDITERRANEAにワーゲンバンで来ていたイギリス人(ポール)を説得しはじめる。彼は2週間ほどのバケーションでクロアチアをドライブするつもりのようだが……。
「バカだな~、ギリシャの方がいいに決まってんじゃん、見てみなよ、このフライヤーを、これに行かなきゃ孫の代まで後悔することになるぜ」
翌朝、ボクを助手席に乗せたワーゲンバンはギリシャへの道をひた走っていた。ラッキー。
数々の国境を越え、サモスラキ島に全員集合~!
クロアチアからユーゴスラビアへ。国境ゲートで早くもハプニング。同乗していたドイツ人の2人組=Wジョナス(ふたりともジョナスという名前だったので、こう呼んでいた。VOOVの会場からフランクフルトまでのヒッチハイクも彼らと一緒だった。すこぶるイイ奴ら)がパスポートを持っていなかったため入国できず。他の車をヒッチハイクし、イタリア方面からギリシャを目指すことにした彼らとはパーティーでの再会を近い、涙の(嘘)お別れ。ボクとポールはボッタクリ国家のユーゴをすっ飛ばして通過。ブルガリアでは国境沿いに立ち並んだ娼婦たちに手を振りながら突き進む。そして次の国境を抜けると……ギリシャだ! イエ~ィィィ、ギリシャに到着~ぅ!
ここからの数日間はメチャ楽しかった。ザンビアからクロアチアまで、パーティーの度に再会していたタク&アイちゃんとも合流し、海から海へ、海から温泉へ、温泉から海へ。カーステレオでは大音量でトランスかけまくり。毎日お祭り騒ぎだ。そして車はアレキサンドロポリに到着。翌日、ボクらはパーティー会場となるサモスラキ島へのフェリーに乗り込んだ。
トルコとの国境近く、エーゲ海に浮かぶサモスラキ島。そこでは90種類に及ぶ鳥類が生活を営み、北部には神々を称える遺跡も残っている。パーティー会場はビーチの目の前。肌を焦がす太陽の下に、澄み渡った海が広がっているのだ。また、背後に聳える高さ1600メートルを越えた山が異様なパワーを放っている。その頂上は“Fegari(月)”と呼ばれ、100以上の滝や湖を育むこの山そのものが信仰の対象になっているのだ。とにかくロケーション抜群、文句のつけようがない。
会場に入った途端、今までのパーティーで出会った懐かしい顔ぶれに囲まれた。エクリプスのパ―ティーで昼夜を問わずビデオを撮り続けたバスチ(ドイツ)、いつもニコニコ笑顔のリサ(スウェーデン)、クールな眼差しのブリー(オーストラリア)、カーリーヘアがキュートなロビン(イタリア)、南アフリカ2000でもセクシーな踊りで魅了したサリー(イギリス)、ザンビアでもマワしていたDJのステラ(イギリス)、名前は忘れてしまったが、見知った顔がアッチにもコッチにも見え隠れする。もちろん、いつも元気な日本人レイバーたちも全員集合。うい~っス! まるで同窓会だ。
「SOLA LUNAでまた会おう」と言っていたのは嘘ではなかった。みんな、ちゃんと辿り着いていた。そしてテントを張っていると……、オオーッ、Wジョナスじゃねーか! オマエらホントにパスポートなしで来やがったのか!?
彼らはイタリアからフェリーでギリシャに渡り、ボクらより2日も早く到着していたのだ(EU加盟国ならIDカードのみで出入りできるらしい)。パーティーがはじまるまでまだ2日もあるというのに、会場のボルテージは既にオーバードライブ状態。みんなウッキウキだ。
夏の終わりとともに伝説となった7DAYS
とにかく、このパーティーはスバラシかった。いままでいくつものパーティーに足を運んだが、こんなに気持ち良かったのは初めてだ。ロケーションが抜群だったのは既に書いたが、集まった人たちも最高だった。特にギリシャ人たちのパワーが凄い。ギリシャでは野外レイヴが禁止されているらしく、この種のアウトドア・パーティーは国内初だということだが、みんなハシャギまくってた。
夜も朝も昼も、いつ行ってもダンスフロアはフルパワー! ボクらトラベラーもギリシャ人の熱気に後押しされて大ハッスル。そしてギリシャ娘たちのカワイイことったら……、ピッチピチ、キャッピキャピだ。彼女たちがまた、人懐っこいんだ。目が合えば、ニコッ。すれ違えば「ハ~ロ~♪」スカしたコなんて見当たりゃしない。そりゃ、そうだ。こんなステキなパーティーで気取ってたってしょーがない。踊り疲れたら海へ、ジャバ~ン。スイスイ泳いで、またダンス。その繰り返し。脳味噌がトロケていくのが自分でわかる。
DJ陣も、ロケーションとお客さんに酔わされてノ~リノリ、のア~ゲアゲ! ザンビアからクロアチアまで、ほとんどのDJがヤル気があるんだかないんだかわからないようなフヌケたプレイをしていたが、ここSOLA LUNAでは炸裂しまくり。ガッツガツ踊らせてくれる。
いや~、それにしても暑いし、ホコリっぽくなってきたな~、と思っていたら……、消防車だっ! 真っ赤な車体の消防車がダンスフロアに入り込み、渇き切った大地とお客に向けて水をブシュ~ッ! 最高だと思っていたボルテージがさらにアガる。調子に乗ったスタッフは、DJが曲かけてるっていうのにサイレンまで鳴らしはじめる。が、これがスッゲーかっこよかった。トランスの音にサイレンが絡み、イッタイここはどこなんじゃ~いッ! って感じだ。もう、ワケわかんねーけど、踊るゾ~いぃぃぃぃ。
夜になると海の向こうからオレンジ色した真ん丸い物体が。あれ~、もう朝日? と思ったが、こりゃ~満月じゃねーか。ウッヒヒヒッヒヒ~! それにしても月ってこんなに明るいのか。なんだか震えちまうぜ、ブルッ。と、ここまで書いてきて今、この文章の前半と後半とで全然文調が違うことに気がついた。が、もうど~にも止まらない。頭の中では完全にサモスラキ島がフラッシュバックしちまってる。ワープロ打つ手が踊り出しそうな勢いだ。誰か、止めて~っ。
アフターパーティーも良かったビヨ~ン(コレ、何語?)。日がたつごとに人数はどんどん減っていくし、システムもショボくなっていくが、やはりいつもの濃い~連中が残っている。とうとうDJブースはただのちゃぶ台みたくなってしまったが、そこでマワしているDJも楽しそうだ。あらあら、ステラまでマワしてくれんの? アリガトさ~ん。アフターの宴は、本編が終了した後、2日たっても3日たっても終わることはなかった。
今回のパーティーはDJもLIVEも非常に豪華だったが、ここであえて誰がよかっただの悪かっただのとは書かない。そんなのは軽く超越したパーティーだったからだ。前回も書いたが、DJなんてのはサウンドシステムやデコレーションとたいして変わらないのだ。ダンスを通して“体験をシェアする”、そのための小道具に過ぎない。確かにかなり大切な小道具ではあるが、決して主役なんかじゃない。コンサートじゃないんだから。
SOLA LUNAがこんなに素晴らしいパーティーになったのも、もちろんロケーションやDJのおかげでもあるが、それ以上に集まったみんなが、ひとりひとりが“楽しむぞ~”という気持ちでイッパイだったからだ。ホント、みんなに感謝、感謝。そしてもちろん、夏の終わりを最後までフルパワーで照らし出してくれた太陽(SOLA)と満月(LUNA)にも……。で、次回は夏のヨーロッパ総集編をお届けします。それでは、ボレナッ!
(転載ここまで)
こうして当時の文章を読んでいても、とにかく楽しかったことだけはやたらと伝わってくる。きっと、伝えたかったのはそれだけだったんだろう。
今回の写真は長年のパーティー仲間であるYumaから提供してもらったものだが、この写真を見てもダンスフロアの熱気とステージ・デコレーションのプリミティブさがよくわかる。デコなんていいんだよ、マジで。楽しみたいのはそこじゃねえんだ。
1999年にヨーロッパで導入された単一通貨ユーロ(EURO €)はまだ市場には出回っておらず(ユーロ紙幣・硬貨の流通は2002年~)、ギリシャではドラクマという通貨が使われていた。9.11が起きる直前の、世界がまだ善意と希望に満ちていた時代だ(ちなみにヨーロッパの夏を終え、アムステルダムからバンコクへ戻るまさにその日に9.11が発生。スキポール空港はパニック状態でダイヤは大幅に乱れ、大勢の乗客が足止めをくらっていた)。
この年以降、毎年夏になるとまるで夢遊病者のようにヨーロッパへと旅立った。今後すべての夏をヨーロッパで過ごすとして、あと何回この楽しみを味わえるのだろうかと、実際に指を折って数えてみたりした。俺はまぎれもなくヨーロッパの夏にいた。
<参考>
下の写真はその年の7月頭に手に入れ、夏の間じゅう持ち歩いてたSOLA LUNAのブック型フライヤーと会場で配られたタイムテーブル(クリックで拡大)。
P1~P2 SOlA LUNA 2001がギリシャで初のインターナショナルなダンスミュージック・フェスティバルとなった
P3~P4 サモスラキ島は古代ギリシャで最も重要な宗教的中心地のひとつであり、だからこそSOLA LUNAはこの島で開催された
P5~P6 会場となるキャンプエリアは島の北東に位置し、木が生い茂っているため日中も木陰で休むことができる
P7~P8 どんなアーティストがラインナップされていて……なんてことはほとんど誰も気にしていなかった。それでもETNICAやKOXBOXなど、シーンを創りあげてきたアーティストたちがあの場にいたことは嬉しい
P9~P10 会場でゴミが落ちているのを見かけたことは、ただの1度もなかった
P11~P12 ギリシャの国内からも国外からも、多くのFestival Tripperたちがサモスラキ島を訪れた
P13~P14 インターナショナルなフェスティバルだったが、チケットの販売場所はインターネットを除くとヨーロッパに限られていた