OZORA FestivalはポルトガルのBOOMやブラジルのUniverso Paralelloと並び、現存するトランス・フェスティバルの中でベストと呼んで差し支えないフェスティバルだろう。
OZORA伝説のはじまりは、1999年の皆既日食フェスティバル “Solipse Festival” にまで遡る。今では皆既日食のたびに大きなフェスティバルが開催されるのがデフォルトのようになっているが、1999年の当時は皆既日食といえば理科の教科書で写真を見るだけのものだった。
photo by CHUN
世界中からSolipse FestivalのためにOZORA村に集まったFestival Tripperたちは、その後それぞれの母国に帰り、皆既日食そのものとそこで開催されたフェスティバルがどれほど素晴らしいものだったかを語った。まさに伝説のはじまりだ。
その後、皆既日食フェスティバルはザンビア、トルコ、オーストラリアなど、開催場所を移して現在まで続いているが、それとは別にOZORA村でも、1999年の皆既日食以降毎夏フェスティバルが開催されている。20年近くたち、世界のベスト・トランス・フェスティバルと称されるまでに成長したOZORA Festival だ。
Festival TripのCONTRIBUTORでもあり長年の友人でもあるMAGUは、2016年からオフィシャル・フォトグラファーとしてOZORA Festivalに参加している。
OZORA FestivalのプロデューサーであるDaniel氏が他界してしまったことは別記事でお伝えした通りだが、今回その追悼の意味も込めて、MAGUにOZORA Festivalについての想いを語ってもらった。
~~~ここからインタビュー~~~
Interview : Golgo Night
All Photos : MAGU Sumita
◆ まず、MAGUがサイケデリック・カルチャーに興味を持ちはじめたきっかけ、パーティーやフェスティバルを巡る旅をはじめたきっかけを教えてください。
初めてフェスティバルに行ったきっかけは98年のゴアです。大阪に住んでいた時にゴア・トランスに出会い、その初めて聴く音に猛烈に引かれ、そのゴア・トランスの聖地=インドのゴアで夜な夜な世界中からトラベラーやヒッピーが集まり踊っているという噂を聴き、居ても立ってもいられなくなって飛び出しました。その当時はもうただただ踊りたい一心で、大学を中退してお金作って飛び出しました(笑)!
元々はテクノ、ミニマルが好きで大阪のクラブに踊りに行っていました。踊りはもちろん好きだったんですが、ゴアに行ってインドの大地の上で、月の光の中、太陽の光の中、国籍も何も関係なく、ただただ踊り続けるあの感覚、フロア自体がひとつの生命体のようにうごめく、ダンスのエネルギーの磁場に触発されてどハマりしたっていう感じでございます。
ゴアでの体験が強烈で、ある種ひとつの方向性を形作って、長いサイクルで今に至っている感じですね。その後、野外のパーティーにからんだ旅では北インドのマナリ、ドイツ、フランス、南アフリカ、ザンビア、ハンガリー、ポルトガル、米国をまわりました。
◆ 写真を撮るようになったのはいつ頃からで、どんなきっかけだったんですか?
写真自体を撮るようになったのは、初めて海外に行った時なんですが、その時にゴアにも行って、ちょこちょことアナログのボロカメラで写真を撮っていました。ただ、この頃は仕事としてではなく、ただ旅の延長として普通に写真を撮っていただけですね。途中で悪徳警官にカメラをパクられましたけど(笑)!
仕事として海外で撮りはじめたのはローマが最初です。一般のツーリストのための写真や動画を撮影をしたり、日本からのお寺の旅行でインドのブッダガヤに行く過程を写真に収めたりという、トランスシーンとはまったく別のところからはじまりました。
関西のクラブで仲間内のテクノの撮影やトランスのパーティーをオーガナイズしている“千夢”のパーティーで撮影をはじめたのがパーティーシーンを撮りはじめたキッカケです。
◆ 日本人としては恐らく唯一のOZORA Festival オフィシャル・フォトグラファーということですが、そこへ至るまでの経緯を教えていただけますか?
関西でよく一緒に活動しているDJのBuzzが大阪でイベントを開いた時に、ゲストDJとしてDaksinamurtiのTillが参加していました。
“OZORAに行って撮影するのが夢なんだよね” みたいな話を彼にしてみると、”OZORAのオーガナイザーと親しいから一応メール送ってあげようか?” ってことになりました。メールを送ってもらった後、自分の撮った写真や動画も送って見てもらって、何もわからないけどとりあえず突入許可が出たってところがはじまりです。
あとは実際現地に入ってみたら、思いのほかOZORAの人たちがメチャメチャええ人たちで、写真やらを気に入ってもらえてフォトグラファーとして参加させてもらえるようになった感じでございます。
◆ 実際に2016年にOZORA Festival に参加してみて、どのような印象を受けましたか?
とにかくOZORAに関わっている人たちの温かさと意識の高さに度肝を抜かれました!
さまざまな人たちがさまざまな分野のプロフェッショナルとして働き、その音楽はもちろんのこと、いろんな形のアートや、メディテーション、ダンス、自然療法や料理等など、いろいろなワークショップも開催され、あらゆるカルチャーが混ざり合って魔法のような化学反応が起きているのを細胞で感じました。
会場はのどかなヨーロッパという感じなのですが、緑もあり、水も豊富にあるし、過ごしやすいです。ただ昼は暑く、夜は寒いですけど!!
参加してる人たちは、本当に踊るのが好きで好きでたまらない! という純血のパーティーダンサーたちで、ワークショップやアートなど、クリエイティブな人たちも含めてみんなとてもエネルギッシュです。共通しているのは、本当にみんなピースフルって事ですね☆優しいバイブレーションが溢れています。
◆ 2017年には開催の1週間ほど前から会場入りしていたそうですが、前年と比べて変わった点などを教えてください。
2回目だったので、2016年に出会ったフォトグラファーチームやみんなとの再会がまず嬉しかったですね。お互い、おっ! 今年も! みたいな感じで気心がしれているので、撮影する時もより自然な感じで撮れました。
それと、OZORAは終了後も会場を更地に戻さず、次年も前年の会場を引き継いでそのままそこに新たにデコレーションを加えていくというスタイルなんです。毎年少しずつ新しいものが建てられて、行くたびに進化していってるみたいですね!
メインフロアのデコレーションの基礎となっている巨大な木のオブジェは変わらなくて、その素体に毎年違うデザインのデコレーションで新たなるOZORAが創られていきます。
◆ 他のフェスティバルと比べて、OZORA Festival はどのようなフェスティバルなのでしょうか?
さまざまなカルチャーとの自然な融合感と、土臭い温かさ、人との距離感が他のフェスティバルよりも身体と心にピタリときて、僕にとってはたまらない感じです!
写真や動画を編集する場所など働きやすい環境はもちろん、特に好きなのはiskola(学校)と呼ばれる、みんなで食事する食堂ですね。ご飯を食べ、夜は焚き火にあたり、洗い場で各自洗って、というその流れ、サイクル自体が大好きで毎回何枚も写真を撮ってしまいます。
◆ 先日、OZORA Festival のプロデューサーでもあり、会場周辺の土地所有者でもあるDaniel氏が他界されました。
OZORA Festivalという素晴らしいフェスティバルに参加させて頂き、素晴らしい仲間たちに出会えた事を心より感謝し、ご冥福をお祈り致します。本当にありがとうございました。
◆ これからOZORA Festival に参加しようと考えている人たちにメッセージやアドバイスなどがあればお願いします。
OZORA Festivalでは、音、シチュエーション、人……、とにかく脳細胞、体細胞、心、魂を強烈に刺激されます!
言葉はについては、ハンガリー人同士はハンガリー語を使いますが、基本的に街でも会場でも英語は通じるのであまり心配いりません。ハンガリー自体もとても文化的に面白く、アートも盛んで観るもの盛りだくさんなんで、行くまでの道程も楽しめる事請け合いです。
アート関係でいうとブダペストに『Painters Palace』という主に絵画、グラフィック系のアーティストが集まって活動している場所があり、夜な夜なオモシロイ人が集まって、それぞれ持ち込みのお酒を飲みながら、絵を描き、ギター鳴らして歌を歌ったりしております。
美術館や教会等も多く、ブダペストは川を隔ててブダ地区とペスト地区に分かれているのですが、個人的にはブダ地区にある国立美術館とマーチャーシュ大聖堂がオススメです! マーチャーシュ大聖堂はステンドグラスがたまらなく美しくて、個人的に震えました!
観光が盛んなので、宿はたくさんあるんですが、夏のハイシーズンは結構埋まってます。早めの予約がいいかと思います。個人的にはMaria hostelがシチュエーションも良くておススメ!
物価もヨーロッパでは比較的安めで、宿もドミトリーなら10€くらいから。コーヒー1杯2€くらいで、食べ物はケバブとかなら5.6€くらい。レストランは安いところで15€くらいでパンとスープとメインディッシュの肉系のプチコースがあるんですけど、店の名前忘れてしまいました(笑)!
踊りたい、アートしたい、遊びたい、あらゆるパッションを解放しちゃいましょう!
~~~インタビューここまで~~~
なお、Festival Tripでは今回のインタビューとは関係なく、以前からMAGUによるOZORA Festivalレポートの準備を進めていた。そちらも進行中なのだが、なかなかMAGUから原稿が届かない。力作になる気配満々だが、それだけ時間もかかりそうだ。もうしばらく楽しみに待っていて欲しい。
末筆ながら、Daniel氏のご冥福を重ねてお祈りいたします。
Life is a Trip, a Festival Trip.