[レポート] ZUM WALROSS vol.15 with Ram Dass『覚醒への糧』

ZUM WARLOSS vol.15
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日時:2017年7月17日 15:00~23:00
会場:ARENA(下北沢、東京)

Shimokitazawa Japan以来、自分の中では早くも定着した感のあるARENAでのデイ・パーティー。昼間から当然のようにビールを飲めるのが嬉しい♪

何度か経堂で開かれたZUM WARLOSSだが、cafe STAY HAPPYでのvol.11以来約8ヵ月ぶりに下北沢での開催となった。ARENAの特徴でもあるテラス・スペースではBBQグリルが解放され、食材を持参すれば誰でもBBQが楽しめる。気楽なスタンスで立ち寄れるイベントだ。

BBQも可能なデイ・パーティー

そして今回はラム・ダスの書籍の翻訳者として知られる大島陽子さん、片岡邦雄さんのお2人も参加。さらに編集者の川島さんも加わり、出版されたばかりの『覚醒への糧(サンガ出版)』の即売ブースはZERO地場のようなインパクトを放っていた。

しかも2800円で翻訳者のサイン入り。出版直後にAmazonで即買いしてしまったが、こっちで買えばよかった……。

ラムダス出典ブース

ところで本書の編集者である川島さんは80年代後半から90年代初頭にかけてのセカンド・サマー・オブ・ラブ以降のパーティー・シーンをリアルタイムで体験しているそうだ。自分は『レイブ・トラベラー(清野栄一著/太田出版)』で読んだくらいの知識しかないので、是非また機会があればその辺りの話をじっくりとご教示いただきたいと思っている。

川島さんはセカンド・サマー・オブ・ラブ以降のパーティーシーンにも詳しい

夕方以降のパ―ティーの流れは、ATS、TERUBI、MakotoといったZUM WARLOSSでは既にお馴染みのDJ陣だ。途中ではcafe STAY HAPPYのオーナーでありworld travelerでもあるクラさんも顔を出し、にこやかに踊っていた。日曜日のフレンドリーな宴だ。

TERUBIとMakoto

さて、イベントのレポートはこれにて終了だが、家に帰ってから本日の『覚醒への糧』即売ブースでもらった販促チラシの文章を読んでしまった。

本書の翻訳者である大島陽子さんの文章だが、凄くいい! 凄くいいので本人からの許可をいただき、ここに全文を掲載させてもらうことにした。少々長くなるが、是非とも読んでもらいたい。なお、本の方はTERUBIの好意により下北沢Rhythm9でも販売している。

 1960年に、ハーバード大学を辞めてドロップアウトしたひとりのアメリカ人がいた。彼は、遠くインドまで旅をし、師(グル)と出会い、“ラム・ダス”となってその後の人生すべてを師に捧げた。
 ハイがあればロウもある人生のうねりの中で、ハイもロウも両方含んだ「いま・ここBE HERE NOW」の持つ力を人々に語り、1971年、それを伝えた本はアメリカでベストセラーになった。

 人生にはハイもロウもある、うれしいことも嫌なこともある、喜びも絶望もある。できればハイや喜びだけの方がいいけれど、やはりハイがあればロウはある。私たちは喜びに有頂天になり、そして絶望に打ちのめされる。その果てしなく思える繰り返しのなかで、二つの対局から解放された、真空地帯といえるようなポイントをもし持てるとしたら……。その可能性を語っていたのが、私にとってのラム・ダスだった。
 喜びや絶望は私たちの人生の物語(メロドラマ)だ。お金がもうかった、盗まれた。ひとからほめられた、けなされた。それはそれで相変わらず続いてはいくけれど、同時に私たちのなかで、メロドラマの筋書きからまったく自由で、物語の展開を見守っている場所があるとしたら。
 でも、私たちはたぶん、その場所に気づいていたはずだ。身体の芯を焼き尽くす照り続ける陽の光の下でも、降りしきる冷たい雨に打たれても、何時間も踊り続けるトランスのリズムの中で。気がつくと「わたし」も「あれ」も「これ」も流れ去って行き、ただあるのは“このリズム”、“この瞬間だけ”になる時に。それはもう「あなた」のリズムではなく、「わたし」のリズムではなく、誰かのリズムでもない、私たちのリズム、誰でもない宇宙のリズム。それはハイもロウも内包した「いま・ここBE HERE NOW」の場所なのではないだろうか。

『BE HERE NOW』の五年後にアメリカで出版されたこの本、ラム・ダスの『覚醒への糧』は、いま自分が歩いている人生の道のなかで、どうやったらこの「いま・ここ」、目の前の一瞬一瞬にいるという自由な場所が持てるかを語った本だ。実例をあげてそれを説明した本だ。仕事を変える必要はない、とラム・ダスは言う。あなたは今いるまさにその場所から始めることができる。道路掃除をしている人は道路掃除を。子育てをしている人は子育てを、ボランティア活動をしている人はボランティア活動を、気づきのための乗り物として用いることができる。そして、究極的には、私たちの誰もが避けられないはずの“苦しみ”も“病気”も“死”も、「いま・ここBE HERE NOW」にいるための強力なきっかけになる、と。

大島陽子

 

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