[レポート] Outback Eclipse Festival 2002

outback eclipse festival
Pocket

all photos by MIKAchan

2001年ザンビアでのSolipse2001に続いて、2002年の皆既日食フェスティバルはオーストラリアで開催された。

TRIPはいつも一人でしてきたが、このときはザンビアのフェスティバル会場でもよく遊んだカヤ、サルハシ、そしてパンガン島でのニューイヤーパーティーで一緒だったミカちゃんが一緒だった。この3人は日大芸術学部写真学科の同級生で、いわゆるプロのフォトグラファーだ。ちなみに今回の写真はミカちゃんが撮ったものを借りて掲載している。

フェスティバル会場エントランスで待つファミリー

我々4人にとって初のオーストラリア大陸だった。まずはシドニーで入国し、フリペーパーの情報を頼りに中古のステーションワゴンを購入。あちこちで買い揃えたキャンプ道具をルーフキャリアの上に山積みして出発した。

中古のステーションワゴンでTRIPする

オーストラリアと聞いて何を思い浮かべるかは人それぞれだろう。シドニーのオペラハウズはアイコンとして定着しているし、ケアンズやグレートバリアリーフのような熱帯のビーチリゾートも人気だ。しかし実際には、大陸の9割以上を占めるのはアウトバックと呼ばれる不毛の大地だ。僅かな草と、そこら中にそびえ立つ蟻塚、そして無数の蠅。それがアウトバックだ。ロードマップに、まるでどこかの町のように記載されているのはただのガソリンスタンドで、そのガソリンスタンドにさえ、ひどい時には数百キロ走らなければ辿り着けない。道の脇に転がったカンガルーの死体を横目に、無言のまま走り続ける。

outback eclipse festivalの会場

シドニーからただただ走り続けて数日後、ようやくフェスティバル会場に辿り着いたわけだが、その会場もまたただの荒野だ。細かい砂がほぼ常に空中を舞い、髪の毛の奥に侵入する。テントのファスナーは初日で壊れ、入口を開閉することも出来なくなった。間違いなく過酷なセッティングだ。

皆既日食はフェスティバルの2日目、12月4日現地時間の19時41分。日没前の、夕方遅めの時間帯だ。

皆既日食の当日は、朝からみんなそわそわした気分で過ごすことになる。そして待ちに待った瞬間が近づくにつれ、緊張感が加速していく。各人が時間やお金や、その他いろいろなもの賭けてそれぞれの国から集まってきたんだ。ただのワクワクとは違う、もっと切羽詰まった緊張感に襲われる。逃げ出したくなるような思いがよぎる。

皆既日食当日

皆既日食は予想不能な体験だ。イマジネーションの外側にある現象だ。このアウトバックでの皆既日食は継続時間僅か数十秒と短いものだったが、皆既の間だけ存在するあの特別な時空間をその場にいた全員で共有することが出来た。そして太陽は皆既の後の部分日食のまま、三日月形の夕日となって地平線へと消えていった。

フェスティバル会場を皆既日食の時空間が包み込む

皆既日食後、我々は大きな荷物を無事に送り届けたように肩の荷を降ろし、思い思いにフェスティバルを楽しんだ。ヘッドライナーだったEAT STATICはキャンセルになったが、もうアーティストがどうとかそんなことは関係なかった。ただ砂だらけになって踊った。踊り疲れてはぶっ倒れ、気がつけばまた踊りはじめた。

アウトバックの日没

フェスティバル終了後、オーストラリアの象徴でもあるエアーズロックを訪れ、東海岸へと移動してバイロンベイやニンビン周辺のいくつかのフェスティバルに参加した。

旅の道中では砂嵐にあい、稲妻に恐れおののき、突然降りはじめた大粒の雨に歓喜した。昼間は降りそぞぐ紫外線の下で呼吸し、夜は大地とともに眠った。耳元で、アボリジニたちの寝息が聞こえてきそうだった。

アウトバックに突き刺さる稲妻

当たり前のことだが、フェスティバルを巡る旅はフェスティバル会場だけにとどまらない。会場の中でも外でも旅は続き、俺たちの時間はその旅の中にあった。

ちなみにこのoutback eclipse festivalの模様はDVDとして発売されている。ひとつはオフィシャルのドキュメンタリー的な映像で、もうひとつは我々LOVE MOTHER EARTH PROJECTが制作したものだ。機会があれば是非見て欲しいと思う。

Pocket