日時:2017年6月23日19:00~22:00
会場:気流舎(下北沢、東京)
平日のイベントだったのでほぼ行けないと諦めていたが、早めに仕事が片付けば最後くらいは顔出せるかも、との薄っすらとした期待通り20:30頃に仕事終了! 自転車でダッシュで下北沢に向かった。
会場である気流舎に到着したのは21:00。歩道に自転車を止めていると店の中から数人が外に出てきた。ん? もしかして終わっちゃった?!
ちょうど気流舎の共同経営者であるハーポ部長がいたので様子を聞いてみると、第1部のトークが終了し、これからラストまでの第2部は歓談の時間だという。むぅ・・・間に合ったような、間に合わなかったような・・・。
店内を除いてみると満席状態。隣りの青年が臨時のキャンプ椅子を勧めてくれたのでそれに腰かけて話を聞いた。歓談タイムとはいうものの、参加者たちの質問や問いかけに翻訳者である大島陽子さんや片山邦雄さんが答える質疑応答に近い感じで第2部ははじまった。
大島陽子(おおしま ようこ)
1962年、静岡生まれ。東京外国語大学大学院修士課程修了(フランス語)。大学、短大、予備校などで英語、フランス語を教える。2001年10月~2002年4月まで、米国かくちでラム・ダスのワークショップ、リトリート、シンポジウムなどに参加する。共訳書に『愛という奇蹟――ニーム・カロリ・ババ物語――』(ラム・ダス編著、パワナスタ出版、2000年)、『死の処方箋』(ラム・ダス著、雲母書房、2003年)。訳書に『覚醒への糧―心の探求の道しるべ』(ラム・ダス+スティーブン・レヴァイン著、サンガ、2017年)。
片山邦雄(かたやま くにお)
1963年、北海道生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。電通営業局を経て、朝日新聞社で月刊誌「RONZA(論座)」や週刊誌「アサヒグラフ」、週刊朝日百科「植物の世界」等の編集をした後、退職。アメリカ大陸やインド、南米を旅し、人間存在の意識の広がりを探る出版物を企画する。編集者として『トランスパーソナルとは何か 増補改訂版』(喜福伸逸、新泉者、2004年)、朝日ビジュアルシリーズ「仏教新発見』(朝日新聞社、2007年)。共訳書に『愛という奇蹟』(ラム・ダス編著)、『死の処方箋』(ラム・ダス著)。
質問者「(翻訳作業の難しさに言及し)翻訳っていうのは、“文化の移植”だってよく言われますよね。移植(翻訳)した先で木(文化)が育つかどうかっていう」
片山「だから異なる文化に向けてどういう言葉をつかっていけばいいのかっていうのは訳していて一番考えるところで、どこでしっくりくるのかっていう・・・。日本の文化の中で伝わるような言語体系の中で語っていかなきゃいけないので」
質問者「両方の文化を見る目がないと翻訳は出来ないですよね」
質問者「どうしてラム・ダスのワークショップに参加するようになったんですか?」
片山「まずラム・ダスの講演会を聴いて、それでワークショップにも参加することを決めました。でも実は自分でもなぜワークショップに行こうとしているのかよくわからなかったんですが、行きのバスの中で『ビー・ヒア・ナウ』を読んでいてひとつ気がついたのは『ビー・ヒア・ナウ』はニーム・カロリ・ババがメインであるにも関わらず、ニーム・カロリ・ババについてはほとんど語られていない。だからニーム・カロリ・ババについて聞きに行こうというのがまず一つの動機ですね」
ニーム・カロリ・ババ(マハラジ)
インドの聖者。呼称である“マハラジ”とはインドではよく耳にする呼び名で、お茶売りが呼びかけに使う表現のこと。特定の組織やグループを作らずに人々に癒しを与えていたが、ラム・ダスに帰依されることによりその存在が世界に知られることとなる。アップル設立前のスティーブ・ジョブスはマハラジに会うためにインドを訪れるが、寺院に着いたのはマハラジが肉体を離れた1ヶ月後だったという。マハラジの言行録を集めた『愛という奇蹟』が大島さん・片山さんの尽力により邦訳されている。
片山「あともう一つは、『ビー・ヒア・ナウ』には様々なメッセージがありますが、僕がここから得た一番のメッセージは“執着を手離す”ということなんです。ところが現実を生きているっていうことはむしろ、どう自分の執着(愛着、自己実現)を達成していくかということの方がテーマなんじゃないか。だから『ビー・ヒア・ナウ』で書かれている“執着を手離す”ていうことを実践していくには修行者になるか、世捨て人になるか、隠遁者になるかしか方法はないんじゃないかと僕は思っていました。例えばカスタネダの本にはWILL(意思)という言葉が出てきますが、では“意思”と“執着を手離す”ことの関係はどうなっているのか。何かを自己実現していくことと、それを手離すこととの関係はどうなっているのか。そういうことをラム・ダスに聞きに行ったんです。
そのときにラム・ダスが答えたのは、例えばAというカルマ(行為)とBというカルマがあったときに、Aというカルマを乗り越えるためにBというカルマを使う、ということはある。これはカスタネダのWILLですね。Aというカルマを手離すために、Bというカルマを使って何かを実現する。でもそれら(AやBのカルマ)のすべてを解き放つのがGRACE(恩寵)だと語っていました。ラム・ダスはこの通りの生き方をしているんですが、普通はこういう修行者のように生きることはなかなか難しいでしょうから・・・」
大島「あなたも結局会社辞めたものね(笑)」
片山「会社を辞めても、ドロップアウトしても、また現実で生きていくことは続きますから・・・実際ティモシー・リアリーなんかも一度ドロップアウトしてもそのままずっとドロップアウトしたままでいいとは言ってないはずです。一度社会システムから出たあともまた新しい・・・」
大島「私たちも一度伊豆の山の中に隠遁してしまって。『愛という奇蹟』を出版して、その後どうやって社会に戻ったらいいのか凄い困ってしまって、会う人会う人に戻り方を聞いてまわりました。米国ではラリー・ブリリアントにも、他の人たちはどうやって戻るんですかって聞いて。インドのアシュラムでも会う人みんなに、どうしたらいいんでしょう?って聞いてまわりました」
ラリー・ブリリアント
医師、免疫学者、科学技術者、作家、フィランソロピストであり、Googleの慈善活動部門Google.org(Google.org, 英)のディレクター。1969年、アメリカ先住民族のグループIndians of All Tribesがサンフランシスコのアルカトラズ島を占領した際、彼らの占領に非正規の医師として参加。数年間マハラジのアシュラムに学んだ後、WHOの天然痘根絶プログラムのリーダーとして全世界での天然痘根絶に貢献。2006年、TED Prizeを受賞。
片山「だいたい答えは違っていて、往き道はだんだん集約していって最後は同じところに、山の頂上に出るかもしれないけど、戻り道は千人千様で、逆に言えばすべてクリエイティブだというような言い方をする人もいました。お金を稼ぐのと修行するのとをまったく別々の期間として分けてする人もいれば、それらをバランスよく同時にできる人もいれば、それはもう人それぞれですね」
質問者「そのタイプの違いみたいなのをまとめた本ていうのはないんですか?」
大島「ね! 私も読みたい(笑)。帰り道ってわかんないんですよ。本当に私たちも悩んじゃって。私と彼(片山)とも違うんですよね、帰り方が。ていうか、私は帰ったけどこの人(片山)は帰ってないかも(笑)。私は一応帰って、社会と関わる方向にすーっと行ったんですけど、やっぱりどうやって戻るかって凄い難しいと思いました」
質問者「そこが一番興味があります」
大島「一番ね、そこがね(笑)。どうやって戻るかがね」
ハーポ部長「来週水曜から4か月半、アマゾンに行ってアヤワスカに集中的に取り組んで来ようと思っています」
片山「実は僕がラム・ダスと会った時期っていうのはアヤワスカ・ムーブメントていうのが日本にも来ていたときで、僕も当時4年くらいアヤワスカを飲んでいたんですが・・・」
アヤワスカ
アマゾン川流域に自生するつる植物バニステリオプシス・カーピとジメチルトリプタミン (DMT) を含む植物とを混ぜ合わせて煮出した幻覚性飲料。ペルーやエクアドルなどのシャーマンに好んで使われる他、ブラジルではアヤワスカに基礎を置く宗教団体(サント・ダイミ、ウニオン・ド・ベジタル、バルキーニャなど)がいくつか存在する。ウィリアム・バロウズと詩人アレン・ギンズバーグによる『麻薬書簡』 により一般に知れ渡った。上の写真はシャーマン兼アーティストであるパブロ・アマリンゴ氏によるアヤワスカ・ヴィジョンの作品。
大島「ブラジル行って戻って来たら、ちょっともう日本の社会に合わない。特にこちら(片山)はサラリーマンやってたんで、満員電車とか具合悪くなっちゃって、電車に乗れなくなっちゃって車で通勤してましたね」
ハーポ部長「だからアフター・アヤワスカというか、アヤワスカのその後みたいな。最近いろんな人に、アヤワスカの体験者に会うんですけど、みんなそれぞれの着地点みたいのがあって・・・着地出来てなかったり(笑)、着地してたり、凄い方向転換してたり、凄いいろんな人がいるからそういう戻り方の本を書きたいと思っていて」
大島「グラウンディング(着地)の仕方ね。いろんな人にインタビューして」
片山「それはちょっと難しいかな。帰り道は千人千様で・・・。ラム・ダスもよく言うんですけども、人は生きている間に何度も何度も心が張り裂けたり、心が潰れたり打ちひしがれたり、心が閉じたりする。それを、閉じたものを開いていくアプローチは出来るんですよね。何度も閉じて、何度も開いて。何度も閉じて、何度も潰れて破れて、それを開いていくと。それをすることによって自分の中に、心が破れてもそれを感じられる自分、受け止められる自分が育っていく。例えばワークショップを、たった一つそのことのためだけにでも使えるって言うんですね。2泊3日なら2泊3日、たったその一点だけに、自分の心が閉じたり開いたり、破けたり開いたりすること、その一点だけにフォーカスしてワークショップをすることもある。それは語れるけど、グラウンディングは自由でしょと。千人千様、一万人いたら一万通りで、死ぬことだって自由でしょと」
大島「それを含めて、いろんなケースを知りたい。統一感なくていいんだけど、全部バラバラでいいんだけど、知りたい。千人千様で、それに倣うことは出来なくてもいいから聞いてみたかった。本当に一時期悩んでたから」
質問者「うまく着地してる人とか不思議でしょうがないですよね」
質問者「きっと同じところには帰ってないんだよね、別次元に着地しててるんでしょう」
質問者「そういうとき(着地するとき)に修行って役立つんですか? ストイックであることとか」
片山「この本では覚醒の過程も書いてありますが、例えば自分をストイックに禁欲とかいろいろしても、その種が焼かれない限りはいくら修行してもそういうものは残ってしまう。でも修行ってひとつだけいいことがあるとしたら、苦行もそうだと思うんですけど、わざと苦しみを作り出すわけですよ。普通生きてれば人生で経てくるいろんな病気とか老いとか死とか、そういったものが普通の人の修行なんですけど、修行者ってわざとそれに近いこととかそれを越えることを自分の身に起こすことで、それに対する抵抗力というか免疫力というか、あるいは起きてくることを先に予見できる、そういった意味では修行もありなんじゃないかと」
大島「私もさっきの、伊豆の山にいるときにいろんなものをやめたんだけど、逆に自分の欲望がさらにかきたてられた気がする。だからタイミングなんでしょうね、禁欲って。タイミングじゃないのに無理矢理禁欲しようとしたから自分の中で却って変な抑圧が生まれたことがあるので・・・」
片山「難しいですよね。抑圧すると葛藤が生まれますよね、人間の中で。葛藤のエネルギーっていうのは覚醒とかスピリチュアルに向かうエネルギーとしては、多分一番強いエネルギーだと思うんですね。ただ抑圧はちょっと違うというか。抑圧と葛藤、この微妙な違いなんですけど・・・。葛藤は、実はしないとマズいというか」
編集者「そう。僕も経験的に葛藤は覚醒への道になると思う」
片山「僕らが社会化されて、小さい頃から生まれて育ってきて生きてる前提として条件付けられてるわけですよね。その条件付けをまず見るためには、凄い葛藤が僕は必用なんじゃないかっていう風に思います」
質問者「その条件付けを一つづつ外していくことですよね。修行っていうのは、むしろその条件付けを外していくことを言うんで」
質問者「条件付けっていうのは自分で自分を限定してしまうことですか?」
質問者 「枠にはめられてるじゃないですか、社会的に生きるために」
片山 「社会化、文化化、いろんな意味で擦り込みも受けきててしまっているし」
ハーポ部長 「僕は修行をする忍耐力が自分はないなと思うのと、やっぱりアナキズム的な精神が好きなんで、グルイズムっていうか、あんまり誰かを崇めたくないなと。だからアヤワスカを飲もうと思ったのも、強制的に植物を飲むとその世界に入り込むというか。シャーマンも聖人ではないじゃないですか、もっと欲にまみれてたり・・・、そういう方が自分には合うなと思って。修行する忍耐力がない。“魂の民主主義”みたいなことを言っている人民学者の人もいたりして・・・」
大島「私はアヤワスカを修行だと思って飲んでました」
ハーポ部長「修行だと思います」
質問者 「そもそも修行って言葉が嫌ですよね。英語だと何ていうのかしら? practiceとか?」
片山「グルイズムとの関係でいえばラム・ダスは、組織というのはほとんど作らないようにして生きてきたと語っています。組織っていうのは作ると、やっぱり違ったものになる、という認識はあると思います。特にインド的なグルイズムってどの程度の規模で機能するのか、例えばこの人数、20人とか10人とか、常にみんながお互いを理解できるような人間の中でだったらもしかしたら成立するのかもしれない。これが50人とか100人になると、日常的に一緒に暮らしていたとしても相手の顔とかお互いを理解しあうことができない。だからなるべく組織は持たない、影響力は持たない、という方が逆にむしろラム・ダス的なあり方なんですね。もちろん組織を創ればそれだけ影響力も大きくなりますが、そのことでルールやいろんなものが生まれてくる。そうすると本質、もとにあったものとはまた違ったものに変質してしまう。特に『ビー・ヒア・ナウ』という本は、そういう競争的な行為とか修行をすることで得る大きな勘違い=化け物が生まれてしまうことを・・・」
質問者「間違ったエゴイズムみたいな」
片山「要するに経験したものを最後は自分のエゴが全部飲み込んでいきますから。これは誰の場合もそうなんですけれど、それにどこまで自覚的であり得るか“だけ”なんですね。だからどんな力を手に入れてもいいんだけど、その力に飲み込まれない・・・」
ハーポ部長 「ラム・ダスとラジニーシ(バグワン、OSHO)は接点あるんですか?」
ラジニーシ(バグワン・シュリ・ラジニーシ、OSHO)
インドの宗教家、神秘思想家、20世紀の覚者。1953年、21歳で悟りを得たとされる。因習的な宗教や社会的な条件付けに対する批判と既存の価値観をくつがえす発言は、当時広がりを見せていたヒューマン・ポテンシャル・ムーヴメントともあいまって多くの若者たちを魅了し、コミューン的な状況を生み出した。弟子たちはサニヤシンと呼ばれるが、旅人やパーティー界隈にもサニヤシンは多い。
片山 「ラム・ダスがラジニーシについて語っていた記憶はあります。ラム・ダスはラジニーシの本は読んでいます。ワークショップのときにある人の質問に対して答えたことしか僕は知りませんけれど。バグワンのサニヤシンだった方が自分はバグワンのところにいっていたけれども、その後いろんなことがあって悩んでいる、という話をラム・ダスにしていました。ラム・ダスは、自分はバグワンについて書かれた本は読んだことがあると。で、彼の知性は凄く秀逸なものである、ラジニーシの知性は秀逸だと。ただ、とっている行いについては自分はまったくよくわからない。例えばロールスロイスを80何台か持っているということは、バグワン的に言えばそれは一つのジョークなんだけれど、それをジョークだって認めたらそれはもう何でもありですよね。ですからそこを、説得力をもった存在にどう出来るかなんですよ。例えばニーム・カロリ・ババは寺院はたくさん持っていたけれど、毛布一枚しか持っていなかったということをラム・ダスは語っています。少なくとも自分の所有物は毛布一枚だけだった。もちろんご飯を食べさしてくれる人とか帰依とかをする人はたくさんいたから、生活はそれで成り立っていたかもしれない。現実に人間が生きていく以上、誰かに依存して生きていくわけですから、そのことは別に否定はしないけど、じゃあロールスロイスを100台近く持つ必要があるのかどうかということに関しては、非常に疑問を述べてましたね」
質問者「その後ラジニーシ、OSHOはですね、youtubeで見たのかな、古い師弟関係は今はもう必要ない時代になったとか、友達っていうかフレンドリーっていうか、あるいは先輩後輩みたいな関係でいいんだっていうことを言っていたようなんですが、そういうことについてはどう思いますか」
片山 「まさしく本当にそういう関係になれればいいんですけど、バグワン自身がそうだったかどうか、実は僕はラジニーシに会ったことがないですから・・・。ただ、ラジニーシがフレンドリーなタイプの人には僕には見えない、まったく見えないです(笑)。バグワンていうのはタントリズム、要するに自分の欲求をすべて肯定しているわけです。人間の持っている欲求をすべて肯定していく道と、例えばラム・ダスみたいに自分の執着を手離していく道っていうのは、実は道を歩む上での二つの段階の違いだっていう風に見る見方もあります。 最初にタントリックに自分の欲求をすべて満たしていく、その次の段階で自分の執着を手離していく。二つの道を同時に進める人もいるかもしれないけれど、私がインタビューしたり聞いたりした中では、普通は最初に欲求を満たしてから手離していく、という順序でした。ですからむしろバグワンが語っているのは最初の段階なんですね、タントリックっていうのは。そしてそれは現代社会には凄くフィットしているし、ある意味で資本主義の精神ともマッチしているから、別に否定し尽くすこともないし、むしろ今後そのタントリックな道を歩んでいく人たちが聖地を目指してくれればいいんですけれども、凄く自分たちの欲望を肯定していく道なんで、ある種の危険性はどうしてもタントリックの場合は孕んでしまう。同時に一つの鞘に二つの刀を納めることは出来ないっていう・・・」
質問者「全然関係ないかもしれないですけど“他力”って、英語で何ていうんですか?」
大島「えー、何ていうんだろう?」
会場一同考え中。
質問者「ま、いいや。他力みたいな概念ってあるんですか?」
片山「あります、あります! 明け渡し、surrenderっていうのはすべて他力です。基本的には他力に目覚めないと明け渡しとかsurrenderとか、そういったことは普通あり得ないんです」
編集者「バクティ・ヨガって、まさしくそういう思想ですよね。ひたすら絶対的存在(神)に献身することで、自分の方は存在しないところまでいっちゃうっていう」
片山「そうですね、愛するものと愛されるものが一つになるまで愛す、ていうのがバクティの精神だから、要するにそこでは自己という概念がなくなるくらいに一体化していく・・・」
という感じでトークイベントの第2部も徐々に歓談へと移行していき、流れ解散となった。大島さん、片山さん、お疲れ様でした。
(※上記のトーク内容はWEB用にわかりやすくまとめたものです。一字一句、記載通りに話されていたわけではありません。ニュアンスの違いなどあるかもしれませんがご容赦ください)
追記:『覚醒への糧』の出版元であるサンガのブログに、本書の編集者である川島さんのレポートが掲載されている。是非そちらもご一読願いたい。
サンガ>ラム・ダスをめぐる下北沢の一夜
この日は、アマゾンへと旅立つハーポ部長が気流舎を務める最後の日でもあった。コンタマナ(ペルー)のシピポ族を訪れ、アヤワスカによる4ヶ月のリトリートへと旅立つということだ。資金の方はクラウドでも募集していたようだが、自分からも旅立つ部長へほんの気持ちだがお布施をさせていただいた。これで自分の気持ちもアマゾンまで運んでもらえると思うと嬉しい限りだ。
ハーポ部長、お元気で!
HAVE A NICE TRIP!
HAVE A SWEET DREAM!