Ree.K DJ活動25周年記念1 インタビュー(前編)

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SG20周年、DJ活動25週年おめでとうございます。そしてインタビューを快諾していただきありがとうございますm(_ _)m
まずはちょっと準備運動というか……、好きな文学や映画を教えてもらえますか。ていうか、Ree.Kはそもそも理系ですよね。

「理系でもないですよ、、それはダジャレ?(笑)  数字ダメ、算数全くダメダメ。最近あまり文学作品は読まないですが、昔は筒井康隆が大好きだったんでほぼ読んでいます。あと夢野久作や安部公房、星新一、稲垣足穂の『一千一秒物語』。ヘルマン・ヘッセも好きでした。近代の文学作品はほとんど読まないです。 ノンフィクション系?だとチャネリングメッセージ系の本が好きでよく読みます。『ハトホルの書』『セスは語る』『プレアデス覚醒の道』などなど。80年代なんかは猟奇系の漫画は好きでしたよね 。『ガロ』と『マンガ少年』など読んでて、 丸尾末広、花輪和一、つげ義春、佐々木マキ、手塚治虫、風忍、楳図かずお、山岸涼子などが 好きでした。人間の道徳的な部分は手塚治虫からかなり学びました。いまは漫画は全く読まなくなりました。映画もほとんど観ない……、観ても実験映像やアート系アニメーションが多い、という中でスタンリーキューブリックはかなり好き」

かなり趣味が偏っているというか……、オタク気質ですね。

「モロなオタクです!!!! もろオタク」

ree.k by magu2017 photo by MAGU

(笑)では本題に入りますが……、20周年を迎え、まさに日本のアンダーグラウンド・トランスパーティーの代表ともいえるSGですが、そもそもどのようにしてはじまったんですか。

「かつて1996年にオーストラリアのバイロンベイで参加したトランスパーティーがSpace Gatheringのきっかけとなりました。そこにはオーガナイザーとお客さんといった区別もいっさいなく、そこにいる人たちすべてがパーティの参加者であり、パーティを作り上げる制作者であり、全体が大きなひとつのうねりになっていて、大きなショックと感動を覚えました。

丸裸のヒッピーたちが大勢いて、ファニーな服装の可愛い人たちも多く、トゲトゲのパンクやゴスな人たちもいて……、そういう一見バラバラな多種多様な人びとが集まってひとつになって思い切りパーティを、ひいては自分そのものを心からエンジョイしきっている光景にすっかり目からウロコが落ちてしまい『コレだ!』と目覚めてしまったのです。

Ree.K_19991999 photo by MASA

六本木のGeoidや、Equinox、Key Energy、Time Tranceなど日本の当時のトランスパーティも、すでに多種多様な尖った人たちが集まっていましたが、オーストラリアで体験したものは完全にネクストレベルだったというか……。みんな各々がそれぞれを楽しんでいるだけなのに、そこにあるとてつもない一体感、愛、スパークする何かを感じ取ってしまい、コレを日本で伝えていきたい!と、帰国してすぐにSpace Gatheringをはじめました」

第1回目のSGについて教えて下さい。 

「1回目は渋谷の今はなきMOという小さなクラブからはじまりました。平日、木曜日の開催だったのですが、その日は横殴りの暴風雨。渋谷の街もほとんど機能しなかったくらいの嵐になってしまい、辿り着いた人は3人……、くらいだったかな。すごいスタートでした。

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2回目は土曜日にやって、約100名の参加者があり、箱のキャパシティとしては満員御礼でした。それはそれは楽しくて凄くて、いいパーティとなり、、パーティが終わった時に『楽しかった!!記念撮影しよう!』と声がかかり、全員で記念撮影をしました。いい思い出です。UbarTmarさんも参加されていましたよ」

SGといえば台風や天災に見舞われるというのがもはや定番となりつつありますが、すでに第1回目から暴風雨だったとは……! 

「それから場所を何度か移して、いろいろ実験的なことを思いっきりやりましたね!! シークレットで、電話連絡だけで100名集めてロングセットだけの濃厚なパーティをやり、終了後にフルーツ盛りを振舞ってみんなで食べたりして。 あと、パーティが終わってさらにアンコールのあと、参加者ほとんどが遊び切ってお腹いっぱいの感無量な気持ちでフロアにへたり込んで、そのまましばらくみんなで床で気持ち良さを反芻しながらゴロゴロしちゃった時もありました」

野外(Space Gathering  Openair=SGO)をやりはじめたのはいつですか?

「1999年に初めてのSpace Gathering Openairをやりました。当時パーティをオーガナイズしていたanoyoとの共同開催みたいな形でした。それから色々と場所を移しながらやっていきましたが、野外の場合は特に、私個人がそのパーティに一参加者として遊びに行った時に、何をもってこのパーティを最高のパーティだとみなすか、というところを常に辿りながら追求しています。

サウンドシステムやDJの内容をいいものにするのは当たり前で、それ以外には誰のどのデコレーションがどこにどういう形であるかということや、おもてなしの心、あちこちに散りばめられた遊び心などなど、いつも想像力を働かせてワクワクしながらプランを練っています。

SGO2005

DJセットの内容も野外とハコとでは全く別物として考えていますね。ハコだと閉鎖された暗い場所でやるので、ググッとアンダーグラウンドなことも実験的なこともやりやすいです。野外だと、外の空気を吸いながら開放的な気分で、音の反射もなく気持ちよく体感できるので……、この音はハコではかけられるけど野外でかけられない、というようなことはよくありますよね。

あと、基本的にSGOでは1フロア1本勝負でやりたくて。だけど、チルアウトスペース的なものが欲しいよねということで、”エネルギー増幅センター”やら”脳波拡張研究所”なるドームを作って、まぁ、ゴロゴロひと休みできるスペースなんですけど、そこで参加型のインタラクティブお遊び要素をいろいろと盛り込んでいました。ボタンを押したら音が鳴ったり、振り子を動かすと模様が浮かび上がったり……と、何かをしたらどうにかなるという。”あなたもこのパーティを作っている重要なひとりなんだよ、あなたがいなければはじまらなかったんだよ”ということを私たちなりに伝えたいというのがこのインタラクティブな要素の本当の目的なんです」

SGO2017はどうでしたか?

「まず音響がすごかった。説得力ありました。当日は『S4』というとても良いスピーカーを久しぶりに出してもらって使ってたんですが、このくらいの規模ならこのくらいがベスト!という点で申し分ありませんでした。

20周年アニバーサリーとあってデコレーションで参加したチームは今まで最も多かったです。とはいえ、ほとんどがいつも一緒にSGOを作っている方たちであり、また現代の日本のシーンを代表するチームたちでもあります。好きなことを思い切りやって自分の中の何かをスパークさせている達人揃いです。SGOの歴史と共にお互いに進化してきたと思っています。彼ら無しにはSGOはあり得ないです。

参加してくれた人たちには、久しぶりの人たちがたくさんいて感激でした。子供が大きくなって家族みんなで来てくれたり、小さかったあの子がすっかり大きくなっていたり、久しぶりのMike Maguireのプレイを楽しみにはるばる遠くから来てくれたり……、最初から最後までほとんどが雨だったに関わらず、最後までポジティブで穏やかな空気が流れていた感じでしたよね。いつもこうして内側からも外側からもパーティが大好きな暖かい人たちに支えられて来ました。今回はそれを特に強烈に感じて胸が熱くなりました。

だけど私があまり完全ではなかったな……。湿気に弱い身体ですがベストを尽くしました。全体で8時間とちょっとやりました。あのスピーカーで鳴らしたかった音、微細に体験してもらいたい音がたくさんあったし、表現したいストーリーがあった。そういう音たちをどの時間軸に流していくか、模索しながらやって楽しかったですね。8時間は早かったです。。あの日のプレイは、宇宙の始まりの部分を音で表現してみたものです。だから全部で3人いるラインナップの中でスタートDJを務めたかった。それに出番が終わったらあとは遊ぶだけですからね(笑)。何もなかった空間に意識が芽生えて、そこから各種のエレメントが生まれて、分裂と融合を繰り返しながら少しづつ一つの宇宙が形作られていく、という設定でした。ただ、次はメインゲストのMikeだし、あまり上げすぎないようにと気を使ったらちょっと裏目に出ちゃったけど……。あとから私のプレイはたくさんの方に褒めていただいてホッとしました」

Juno ReactorのオフィシャルDJでもあったMikeは、今回のSGOが日本でプレイする最後のDJプレイだったそうですが。

「Mikeとの交流は本当にお互いに刺激になりました。彼は私の最も尊敬するDJで、人間性、音楽性、どれもが私にとって凄く大きな存在でした。その彼が私の刺激となり、私が彼の刺激となり……、とにかく私のDJスタイルをいつも絶賛していただいて、そのつど彼のDJスタイルも変化していって……、嬉しかったです。自分の尊敬するDJに影響を与えられたということが。続けてきてよかったと泣いてしまう程でした。

Space Gathering 20th aniv. MIKE maguirephoto by MASA

今回のSGO2017でもやっぱりMikeは凄かった。スピーカーを最大限鳴らして、艶のあるいい音を出していましたね。Mikeの音を聴いて、自分はどれだけ鳴らせてたんだろうか……、と考え込んじゃったくらいです。今は別の仕事に就いていて、とても生きがいを感じるらしく気持ちもシフトしていきたいと話していて、日本でのDJプレイは今回で最後ということですが……、私はそうは思ってなくて、またいつかやってくれると信じています」

Ree.KにとってSGとはどのようなものなのでしょうか。

「Space Gatheringは重要な表現の場でもあり、学びや気づきの場でもある。名前の通り、宇宙規模で全てがシンクロしあっているんだと感じます。 私たちが面白いことに夢中になってやっていると、ちょうど欲しかったようなものが向こうからやって来て、足りなかったピースが完璧にはまっていく、という事を学び、同様に、不安や迷いが生じるとどんどんバランスが崩れていくのも手に取るようにわかる感じで……、20年経った今でも毎回が勉強です。DJも毎回が学びで、気を抜くところがどこにもない。いい時もあるし、まったくダメな時もある。まさに人生そのものだと感じます」

Space Gathering 2017 20th aniv.

Ree.KとMASAは2011年の原発事故をきっかけに熊本へと拠点を移動しましたが、熊本での生活について教えて下さい。

「生まれ育った東京や神奈川でも、長いこと化学物質や合成界面活性剤を排除した生活を続けていて、当時から目指すところはいわゆる地域循環型社会のようなものでした。あの地震が起こった日はSpace GatheringをUnit(代官山、東京)でやる予定で、もちろん中止となりましたが、昼間は犬とふたりで散歩をしていて1回目の揺れがきて、それで2回目、3回目の揺れが来たときになぜか、この地震は私が引き起こしたものだと強く感じてしまって……。この世界が自分の意識の反映であるならば、この地震という体験も私の意識が引き起こしたものかもしれないと。そういうことを強く感じたのを覚えています。

ree.k by jiroken2017 photo by JIROKEN

地震の直後に帰宅して、それから原発事故が起こった事を知り、それから3日間は1日中家の中に座って、停電の中、ろうそくを灯して、ニュースには目もくれず、自分の中のズレというか、何がこの地震と原発事故というストーリーをたぐり寄せたのか、何が間違っていたのかの答えを出すために瞑想ばかりしていました。自分の中にある奢り、無責任さ、うぬぼれ心、対立するもの、とにかく深いところまで自分の中に降りて、ただ座って観るだけの3日間でした。電気が復旧してからはネットラジオで鎮魂のためにチルアウトの選曲で音楽を流し続けました」

ネットラジオを流していたのは知らなかったです。アーカイブとかはあるんですか。

「itunesでプレイリストを作って順に垂れ流してた感じなので、アーカイブはないと思います。とにかく原発事故を含め、この出来事はあらゆる意味で自分にとっての決定的なウェイクアップコールだったのは間違いないです。 それから、今まで頻繁に訪れて大好きだった熊本に移る事を決心して、MASAさんを説得して2012年に引っ越して、やりたかった事を本格的に実現に移しました。 まずはピュアな自給自足の生活、ひいてはオフグリッド生活(これはまだ実現していません)へとシフトしていきたくて。あらゆるものを純粋に、ピュアなものに整えていくことが目標です。

鎌倉でも少し有機農法をやっていましたが、熊本の住居には1畝ほどの畑のスペースもあり、自然農法という、自分にとって最も腑に落ちるやりかたで作物を作りはじめました。ほとんどすべてひとりでやっています。今年から約1反(約300坪)の畑も借りることができたので、まずは土壌改良にもなり手前味噌用にもなる大豆を植えました。大豆の収穫が済んだので、早速お味噌を仕込んで次に大麦を植えました。これも土壌改良のためと、自宅で消費する麦茶用です! 今後は田んぼを借りてお米をやりたい。それが夢。

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ree.k と犬ree.k kumamoto

農作業はすごく楽しいうえ気づきの要素が山ほどある。作物や大自然との関わり合い、その中で自分がどこまで手を出すかのさじ加減、ひとつひとつが大切な学びになっています。 なぜそうなのかには必ず意味と理由がある。そしてその背景には宇宙の大きな流れがある。わざわざ案じなくても、今はそうは見えなくても全ては最善に向かって進んでいる。もし手を出すとしたらその流れに則ったものでありたい。全てに通ずることだと思います。

家の裏にはホタルが生息する川が流れています。うちの地域は下水道がなく、合併浄化槽といって、排水はある程度微生物に分解させてから直接川に流しているので、家で流す排水に化学物質は決して混ぜません。すべての要となるものは水だと思っているので、水を汚さない、綺麗にするということは最も基本的なことだと感じています」

もともと温泉好きで、MASAとともに日本各地の温泉に行きまくってたということですが、熊本の住居がある菊池という場所は日本名湯百選にも選ばれる温泉地ですね。

「たまたま温泉地に引っ越したので、湯量が豊富でいい温泉が近くにたくさんあります。家にはお風呂場がないので、だからお風呂は全部温泉。真夏だけは庭で裸になってホースで水シャワーを浴びてますが……。ときどき出先のホテルなどでシャワーを使うと、塩素の異様さがよくわかります。だから出先では、特に都会のようなところでは数日間シャワーすら使わない時もある(笑)。ガマンして、毎回熊本に戻ってきたら空港から温泉に直行です」

家にお風呂がないというのは意外ですが、毎回が温泉というのは羨ましいですね。

「そのうち自分でお風呂場を建設したくて、それも薪や太陽熱などでお湯を沸かすランニングコストゼロのものにしたいという構想があって。もともと古民家の納屋を改築したカフェでお風呂場がなかった今の物件を選びましたが、建設はまだまだ先の話ですね。。何しろ温泉が気持ちいいのと、土蔵を修復しなければならない別のミッションが生まれてしまって。

熊本は、まず水が豊富できれい。だから作物や食べ物が全部おいしい。そこに最も魅かれました。日常では四季折々に見られる生き物たちの多種多様さ、数の多さにとても感動しています。ある日、トンボが飛んでいる姿を見て、生命の尊さ、ありのままにただ生きるその姿、命のつながりの果てしなさに意識が宇宙の端っこくらいまで飛んでしまい号泣してしまったり、秋になって葉っぱが紅葉して、何のためらいもなく葉を落として裸になっていく木の姿にとてつもない大きな愛を感じて号泣してしまったり、他者の命を取り込んで自分の命とする、ごくごく当たり前のことに大きな感動を覚えて号泣してしまったり、何だか小さなことに大きく感動して涙もろくなりました。

Ree.K2017 photo by MAGU

熊本は心優しい人が多いです。いつも救われています。目をみはるほどの風景の美しさ。儚さ。それでいてエネルギーが満ち満ちているような力強さにも心奪われます」

Ree.K DJ活動25周年記念インタビュー(後編)に続く。

 

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